鑑賞録やその他の記事

ドラマの臨界点

Facebook に 2012/ 2/15 に投稿した記事に手を加えたものです。

ドラマ作りで最も大切なのはクライマックスと思われがちですが、実は、その直前が重要だったりするんですよ。

最高潮に盛り上がって、世界が変わって、なだれこむ。こうした、いわば臨界点のようなものを感じさせるのは優れたドラマです。そこでは、今まで築き上げてきた要素が一気に昇華されるような感じになります。

現役の映画監督では、クリント・イーストウッドが、これが抜群にうまいです。『ファイヤーフォックス』(82)『許されざる者』(92)『ガントレット』(77)などを観ている人は、どこがその臨界点に当たるかを考えてみるのも面白いでしょう。
あるいは、普通のストーリー主義から外れたように思えるフェデリコ・フェリーニ監督の映画などにも、こうした臨界点はあります。『8 1/2』(63)という自伝エッセイ風映画には、登場人物全員で踊る幻想的なラストシーンがあって、たいへん感動的なのですが、直前の主人公の記者会見シーンが見事な臨界点になっています。

ドラマを観る上で、こうした臨界点を期待するのも一興かも知れません。
とはいえ、これは相当高度なテクニックですから、そう簡単に見事な例には出会えません。テレビドラマでも、映画でも、普通はありがちな感じで段取りを踏むのが精々でして、「ここぞ!」と思わせてくれるのは少ないのです。

大河ドラマ平清盛』(12)の第六回には、それがありました。

夜の海賊船、捕らえられた若き清盛が、マストから吊されています。
この作品での彼は、平氏の子として育てられながら自分が孤児であり、宙ぶらりんの心なわけですから。この状態は今までの彼のドラマを、はっきりと目で見える形で表しているわけです。
もう、この時点で盛り上がるわけですが、ここで、さらに清盛と一緒に捕らえられた学者が李白の詩を詠みます。その内容に、清盛は、似たような歌を聞いたことがあると思います。♪遊びをせんとや生まれけん…これはドラマに一貫して流れるテーマ曲なのですが。清盛が赤子の頃、無惨に殺された白拍子の母の歌声なのです。孤児として "宙ぶらりん" になった清盛が遠い昔に聞いた母の歌声なのです。
そこで、カメラが、その歌に合わせて、まるで、白拍子が舞うように、清盛の周りを、ぐるりと回ります。そして、清盛越しに映り込んだ夜霧の海の向こうから、彼を助けに来た平氏の船団がうっすらと見えてくるのです。

なんと見事な、ドラマの臨界点でしょう。これがあるからこそ、その後の船上のチャンバラ劇に、観ている自分も突入していけたのでした。