鑑賞録やその他の記事

『コーダ あいのうた』(2021)

Facebook に 2022/ 4/30 に投稿した記事に手を加えたものです。

シアン・ヘダー『コーダ あいのうた』。
聾唖の一家で唯一健常者として育った少女が歌に目覚めて夢を目指すという、アカデミー作品賞受賞作。いかにもな良心作にはあまり食指が動く方ではないのだが、自分の周囲でも評判が良いので観に行ってみた。するとこれが-フランス、カナダとの合作とはいえ-いかにもアメリカ映画らしい「分かりやすくもさりげない上手さ」に満ちた好篇で、すっかり気持ちよくなってしまった。
世間的には大成功作なんだろうが、個人的にはベストテンの10位にそっと留めたくなるようなステキ映画なのだ。分かるでしょう、そういう愛で方。

主人公ルビー役のエミリア・ジョーンズ、アカデミー助演男優賞の父親役トロイ・コッツァーをはじめキャスティングは隅々まで素晴らしく、人生で数千度目かの「アメリカ映画界、強え…」のため息をついてしまうわけだが。そうした人々を的確に動かし丁寧に画面に収めていくことで語り口を弾ませるのは、そう簡単にはできない。見せ場はもちろん、ちょっとした描写で場の雰囲気や登場人物の実感が伝わって「ノる」ことができるのは、まさに映画を観る喜びだ。
ルビーの高校に父と兄のトラックが大音量でラップを鳴らしながら迎えに来るところとか、兄が酒場で嫌なやつに殴りかかったとたん双方の仲間が止めようとするところとか、実にいい。そんな細やかな積み重ねがあって登場人物に思い入れできるし、合唱部発表会から始まる盛り上がりの連続に泣くこともできる。
コッツァーの男優賞を決定づけたであろう感動シーンの舞台がトラックの荷台というのも、見事だ。映画を作ろうという者は、決定的な会話をどの場所でやるかということに、これぐらい神経を使って欲しいものだ。

音楽に触れよう。
ルビーが男子学生(素晴らしい歌声のフェルディア・ウォルシュ=ピーロ!)とデュエットする『ユアー・オール・アイ・ニード』は、男女デュエットの最高峰マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルのヒット曲だが、代表作の『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』に比べて今では少し忘れられかけてる。だからルビーも知らなかったのだが、曲を知っていく過程が男子学生と恋に落ちるのにシンクロするのにピッタリなんですよ。『エイント…』じゃ、最初からイケイケだもん。
マーヴィン・ゲイといえば、合唱部の練習でいきなり『レッツ・ゲット・イット・オン』には笑いそうになった。「一発やろうぜ」ですよ。これを学生たちに歌わせる先生の変人ぶりも伝わる。
ルビーが家で愛聴してるのがシャッグスというのも面白い。歌手としての成功とは全く別方向の超ヘタクソバンド。でもこれ、家族バンドってのは密かにミソかもね。シャッグスをレコード・デビューさせたのは、彼女たちのお父さんだし。

でも歌の中で最初にガツンと来たのは、有名ポップスとかではなく、ルビーがひとりで歌う『ハッピー・バースデー』だった。これを、彼女は自分自身に歌っていたのだ。迫りくる自我の誕生に向けて。ここはシビレた。