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『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』(2014)

Facebook に 2014/ 5/20 に投稿した記事に手を加えたものです。

映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』(長えよ)を観た。

前半のユルさに乗りづらかったとか、伏線を生かせてないとか、小道具の使い方がいまひとつとか、市庁舎を乗っ取る意味が分からないとか、最後のクライマックスの追い込み方が甘いとか、いろいろ文句はあるんだけど。
何といっても「ロボとーちゃん」というキャラクターが秀逸で、ソレを使って泣かせるところをキッチリやってるので気持ちよく観ることができた。
後半、真のとーちゃんが復活してからのロボとーちゃんが、観ているこちらの胸を掴むのは、それが「実存」そのものだからである。つまりこの映画は、「実存の非情」と「愛の幻想」の葛藤の物語なのだ。

そしてロボとーちゃんがニセモノであるように、家族愛も機械や肉体のようには「実在」するものではないのである。愛は存在としては「ホンモノ」ではないのだ。
だからこそ、映画の中で「家父長制」という強固に思える-これもまた実在しないのだが-暴力に取って代わられようとする。
だが、そんな儚い家族愛も、目に見えるときがあるかも知れない。いや、目に見えて欲しい。そんな願いがこめられたのが、「しんちゃん」というキャラクターなのだ。

家族ってモノはまかり間違えば、その延長線上に国家を生み、右翼的な暴力に個人を巻き込むかも知れない。だけど、そんな家族の中にしんちゃんがいれば大丈夫。
というわけでこの映画は、あなたのそばのしんちゃんを愛せよ。そばにいなければ、あなたの内なるしんちゃんを愛せよ。
-そんな歌を、調子っ外れに歌い聴かせてくれるのである。

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