政治映画としてのマカロニ
Facebook に 2020/ 9/ 2 に投稿した記事に手を加えたものです。
ジュリオ・クエスティ『情無用のジャンゴ』(1966)を、久々にDVDで再見。
セルジオ・コルブッチ『続・荒野の用心棒』(66)に始まるマカロニ・ウエスタンの伝説的キャラクター "ジャンゴ" ものの一本で、残酷描写で有名な作品。爆発しない死と狂気がまんべんなく漂う悪夢的な雰囲気が独特で、トリップ・ムービーのようにも思える。
クライマックスで主人公は何もしないまま、炎の向こうの惨劇を目撃するばかり。この異様さは捨てがたい。
というわけで映画も良かったが、DVD特典のインタビューが興味深かった。主演のトーマス・ミリアンいわく、当時のスタッフはみんな共産党支持で批判的なミリアンと対立したという。共産党支持じゃなきゃファシスト呼ばわりまでされたとか。
そのため照明部に殺されかけたと言うんだけど、彼の話はいかにも「盛ってる」感があるので、どこまで本当か。黒澤明が『トラ!トラ!トラ!』(70)の現場で照明の羽根(だっけ?)を落とされた事件といい、洋の東西を問わず手を汚す荒くれ者は照明部というイメージなのか。その末席をちょっとだけ汚した身としては、嬉しくはない。
それはともかく、まだチェ・ゲバラなどが活躍していた時代の熱い血たぎる政治的ムードがマカロニの背景にあったというのは興味深く、『情無用のジャンゴ』でもならず者たちの黒服はファシストのイメージだと監督が明言しているし。だいたいこの映画のジャンゴは西部劇ヒーローというより、ゲバラみたいなゲリラ兵に見える。
そして映画はいちど人種差別丸出しのアメリカ人に殺された混血児ジャンゴが、復活するところから始まる。十字架のキリストのように見えるシーンもあるし、いつか革命を起こす民衆の伝説の中に生きる神秘的・象徴的なヒーロー像に見える。となるとふと白土三平という名が浮かぶが、このひとは俺、何かを言えるほどは知らないので、誰か詳しいひとが白土漫画とマカロニの比較論を書いてくれたら面白いかも。
さらに考えてみれば『続・荒野の用心棒』からして、政治性と無縁ではないように思える。最大の敵ジャクソン大佐はアメリカ人の人種差別主義者であり、メキシコ人を遊びのように殺すのはまさに支配者の恐怖だ。彼の手下どもが悪名高い白人至上主義団体 KKK を思わす頭巾を被っているのにも、注目されたい。
だいたい世にマカロニ・ウェスタンありと知らしめた名作『荒野の用心棒』(64)からして、政治的な解釈が不可能というわけではない。原案は周知の通り黒澤の『用心棒』(61)だが、さらにその源流は小説『血の収穫』であり、作者ハメットの左翼的な指向性が反映された作品という説がある。街の支配者たちが暴力的に権勢争いしているところに流れ者がやってきて、戦争を誘発し、全てを滅ぼす物語。
この世界(西部劇の中の街)は政治的に腐っている。いちどぶっ壊すしかない。民衆の中の革命待望(が、あるとするなら)が、アナーキスト・ヒーローの破壊となる物語。そんな「時代の気分」を背負ったものが、儲かるなら何でもアリという無茶な見世物精神と結びついたのも、またマカロニ・ウェスタンの正体だったのではないか。良きにつけ悪しきにつけ、そのような見方も可能かと思う。