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絶対恋愛映画『慕情』(1955)

Facebook に 2021/ 6/16 に投稿した記事に手を加えたものです。

ヘンリー・キング監督作『慕情』といえば、主題歌があまりにも有名だが。この映画には驚くべきことに恋愛しか無いのだ。
出会ってからは、ずっと恋愛してて、最後に別れがあるだけで。他の恋愛映画の名作にあるような、誤解だのすれ違いだの失踪だの恋敵との対決だのによる「劇映画としての筋」が無いのである。

確かに二人の愛は順調なだけではない。男側の奥さんという存在、女側の祖国の問題などが、障壁のように描かれはする。しかしながら、それが筋として発展はしない。例えば男の奥さんとつるんでる誰かがヒロインに嘘をつき、信じてしまったヒロインがやってはならないことをしてしまう…みたいな話にはならないのだ。
主人公たちは障害は障害として認識しつつ、それでも愛を貫き続ける「だけ」なのだ。ヒロインに対してはっきりと邪魔者として描かれる人物もいるが、そのつど彼女は敢然とはねのけるのである。その流れで失職したりするが、それで境遇が変わることが恋愛という太軸に作用しない。ストーリーを動かしてはこないのだ。
恐らくこれは実話ベストセラーが原作ということによるのだろう。作り話なら、プロットの段階で「もっとお話を作りましょうよ」となると思う。

で、筋がない代わりに何があるかというと、「趣向」があるのだ。
舞台が昔日の香港という趣向、ヒロインが英国人と中国人のハーフという趣向、女医で中国難民の子供の世話をするという趣向、さらに言えばそれをジェニファー・ジョーンズが演じるという趣向がある。
これは「ストーリー」ではない。例えて言えば「今度のエルビスはカウボーイです!」「今度の寅さんは北海道に行きます!」というのと同じ「趣向」で、観客を惹きつけているのだ。これは実に芸能の楽しみではある。

ただし、一本の映画を成立させるには、もうひとつ必要なものがある。
「芸」だ。二人の役者の芸以上に、ヘンリー・キング監督の演出芸で観客を引っ張っていく必要がある。
この監督、『拳銃王』(50)のようなしっかりしたストーリーを語るのに長けているひとなのだが。ここでは何と、「『趣向』の映画ね。では私は『芸』だけでひたすら恋愛をお見せしましょうか」と割り切り、楽しんでいるフシさえある。シネマスコープ画面にじっくりとカメラを据えて、ゆったりと演出芸を展開して見せるのだ。煙草のキッス、無言でのダンスの開始…旨味が滲む映画作りだ。

そして、ストーリー的に言えば唯一絶対の展開点である「別れ」。ここでキングは、最大の芸を見せる。
丘の上のデートは恋愛の絶頂点に見えて、「ああ、これが最後なんだな!」と-何の説明もなく-分かってしまうのだ。ここは物凄い。
ひょっとしたら、そこまで「ストーリー」に頼らず、ただただ「趣向」の中で「恋愛」を描いてきたからこそ、こんな物凄いシーンを作り得たのかも知れない。だとしたら、そんじょそこらにはない「絶対恋愛映画」の精華ということもできよう。