鑑賞録やその他の記事

『5つ数えれば君の夢』(2014)

Facebook に 2014/ 3/23 に投稿した記事に手を加えたものです。

『5つ数えれば君の夢』を、ロードショーで観る。文化祭数日前から当日までの女子校を舞台に、東京女子流の全員(※注1)を主役格にした映画だ。

不動のセンター、新井ひとみは超然とした美少女。山邊未夢はひとりで園芸部をやっている引っ込み思案の娘。庄司芽生は子分を引き連れた学園の女王様。小西彩乃は芽生を愛し、尽くし続ける。中江友梨は優等生の委員長ながら兄を愛す背徳を抱えている。
それぞれに設定を作り込んでいて、ファンは興味深く観られるだろう(…って、俺もファンなんだが!)。

監督の山戸結希は、最近かなり注目を浴びている若手らしい。
実際-例えば-前半数十分にわたってずっとピアノのリフレインが鳴りやまないという、商業映画としては型破りな作り方の中で。少女たちの時間が音楽的に展開されていくのには圧倒される。
しかも単純に、イメージビデオ的な "感覚" の面で優れているのかと言えば、それだけではなく。新井の靴箱に貼り紙がされたシーンの人物の動かし方、引き気味のカメラでの処理の巧さや。音楽室(なのかな?)での山邊と小西のシーンの芝居付けなど、通常の意味での "劇映画の監督" としての資質にも非凡なものを感じさせる。

そして "通常" を超えたこの作家ならではの非凡さが最も表れたシーンとして、柱が数本立った駅前広場での山邊と新井の会話があって。ただ単に会話をシナリオの内容として伝える以上に、二人と柱を軸にしたカメラの動きが、幻惑的な音楽性を醸し出す。
ドラマの中で過剰な映像の遊びが突出するという意味に於いては、デ・パルマ的ともいえるかも知れないが。作り手の "美しさ" への打ち込みが、新井という "美しさ" しか関心のない少女が、山邊を圧倒していく-という、物語にも相応しい描写に感じさせるところが物凄い。

脚本は山戸監督自身が書いていて、ナマな、いわゆる "青臭い" セリフが頻出するが。この年頃の若者なら平気で青臭いことは言うものだし、なんせそれを美少女たちが言ってるものだから、「そういうものか」と受け入れられる部分はある。
いま美少女たちと書いたが、人物の顔を美しく撮るという最重要ポイントでもこの映画は優れており。
突出した美少女である新井、中江はもちろん、山邊や小西も、テレビなどで観るよりも遥かに美しい。さらに、ふだんのダンスが得意な溌剌少女のイメージとは違って、"悪役" に挑戦し、目に厚いメイクを施した庄司(※注2)の新しい魅力も、見ものである。

だが後半、ただの "美しい映画" に終わらせないぞ-と言わんばかりに、キャラクターたちが長台詞で自己告白大会を始めるのは、人によって "我慢できる/できない" が、あるだろう。
俺はやっぱりちょっと苦手というか、正直なところ「ああ、こういうセリフを長々と、感情込めて喋らせるのは、勘弁してくれ」というのがあった。
もっと他の方法はなかったのか。例えば、そこまで積み重ねてきた "顔" の中で、表情ひとつでキャラクターを "人間" として、観客に "分からせる" ための賭け方はなかったのか。
超然としていたはずの新井ひとみまでが、涙でそこそこの長台詞を語るのは残念だし。付け加えればプールでの新井の決定的なアクションを写真で示したのは-何らかの事情があったのかも知れないが-疑問が残る。

しかしながらそれに続くクライマックスでの新井の踊りのシーンは、いま、ここで、やりたいことを全部やるような迫力があって。映画が惜しみなく全てをさらけ出すというのは、このような一種異様な祝祭性とともにあるものだ-と感じ入った次第である。
とにかく、かなり刺激的な映画体験であり、劇場に足を運んで良かったと思った。山戸結希✕東京女子流の組み合わせは、まず成功と言っていいのではないだろうか。

注1:当時はその後グループを卒業した小西彩乃を含む5人組だった。
注2:余談だが、庄司芽生ジェニファー・ジョーンズに似てると思う。

Amazon Prime Video で観る


5つ数えれば君の夢