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ジョン・フォードと淀川さん

Facebook に 2017/ 3/ 8 に投稿した記事に手を加えたものです。

俺が生まれて初めて名前を覚えた映画監督は、たぶん、黒澤明でもヒッチコックでもなく、ジョン・フォードだ。
それは子供の頃に観ていた日曜洋画劇場で、『荒野の決闘』(1946)や『怒りの葡萄』(40)、『わが谷は緑なりき』(41)といったフォード作品をやった回に、淀川長治さんが「ジョン・フォード」という覚えやすい名をしつこいくらい口にしたからである。

そんな中で『長い灰色の線』(55)が放映されたときの話をしよう。
これはアメリカの陸軍士官学校の教官マーティ・マーの伝記をタイロン・パワー主演で映画化したもので、反米・反軍国主義の人でさえラストでは涙を禁じ得ないであろう物凄い傑作。「泣ける映画」というと『長い灰色の線』が、真っ先に頭に浮かぶほどだ。

前半で、学校にやってきたばかりの若きマーティが拳闘の授業の手伝いで、両手にいっぱいのグローブを抱えて廊下に出てきたとき。ツンとすました気の強そうな美しい娘と出会うシーンがある。
フォード映画の女神といっていいモーリン・オハラの演じるマーティの未来の妻、マリーだ。
野暮ったい男の城に大輪の花を見た思いのマーティはその場に立ち尽くし、マリーはマリーで見られていることを意識して動けなくなってしまう。
淀川さんは、映画が終わった後の解説で、このシーンに触れられた。

マーティの抱えたグローブのひとつが、ぽろりとマリーの前に転げ落ちる。
「…さあ、そのグローブを彼女はどうするか。皆さん、ご覧になりましたね。ポーンと、蹴飛ばしましたね!」
間があって、満面の笑みで
ジョン・フォード・タッチですねえ!」

映画を観る楽しみとは、こういうことだ。
最高の映画の先生による最高の生きた評論だった。

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長い灰色の線