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『タワーリング・インフェルノ』(1974)備忘録

Facebook に 2017/ 5/ 6 に投稿した記事に手を加えたものです。

タワーリング・インフェルノ』はむちゃくちゃ巧い映画ではないのだが、これぐらいやってくれたらさすがに「プロの映画だな」と思える「分かりやすい巧さ」が目立つ映画だったので、備忘録的に列挙してみる。

  • 冒頭、ウィリアム・ホールデンがヘリでやってきたポール・ニューマンを屋上で出迎える。次にカメラは階段を降りながら話すふたりを正面から捉えるのだが、背後にヘリが飛び去るのが見える。さっきまでのヘリのシーンの名残と、次の会話が「同時」に画面に在る印象を与え、語り口が「早い」と思わせる。
  • ニューマンが-その部屋に彼の妻がいる前フリの会話の後で-ドアを開くと、切り返しで豪華客室のロングショット。ここでムーディな音楽が鳴り「いい女登場」感を漂わせた後で、再会のキスまでを1カットで収める。妻のいる場所の適切さ、カメラワークに至るまで、名カット。
  • このようにニューマンは一応家庭人であることを最初の方で印象づけつつ、もうひとりの主役格、スティーヴ・マックィーンは徹底的にその要素を排除する。決死の使命遂行の前に電話をかける相手さえいない。つまり西部劇の村の住人と流れ者のヒーロー。そんな二人がやがて力を合わせて村を救うという古いパターンの巧い変奏。
  • 中盤で出動する若い消防士の作劇上の役割を、登場時の怯えた顔の1カットで見せてしまう手際の良さ。彼に対するマックィーンのセリフ「先に降りろ、落ちたとき他が巻き添えにならずに済む」「訓練が役立ったろ」に、年長者が若い者を一人前にするというアメリカ映画のパターンが生きる。
  • 悪役を一手に担ったかに見えるリチャード・チェンバレンだが、子どもが観たら「コイツが悪い」、大人が観たら「これはホールデンもかなり悪い」と思わせる仕掛けが彼の言動に出ている。そして彼がどんどん卑劣な行動に走るのは、むしろ責任を感じているからだと思える。これは俺のせいだ、はいはい、悪いのは俺です、だからもっともっと悪くなってやりますよ…という風に、「悪さ」というより「弱さ」で堕ちていくのだ。その根本に劣等感が見えるのが巧い。
    悪役はしっかり描くのが大事という基本を踏襲している。
  • 最後に、有名なビルの煽りのショット。これは絵的に見栄えがするだけでなく、被害の広がりが段階的に分かるようになっている。つまり映画を「語る」鍵となるイメージであり。そういう鍵を映画の作り手は見出だせるなら見出した方がいい。

他にも子どもたちの母を聾唖者にした設定とか、アステアの役割とか、いろいろ語れることはありそうだ。もちろん、有名な大放水やエレベーターのシーンなどを分析するのも、いいだろう。
再見する機会でもあれば、考えてみますよ。

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タワーリング・インフェルノ (字幕版)