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劇場版『スパイの妻』(2020)

Facebook の 2020/11/30 の投稿に手を加えたものです。

ようやく観た、黒沢清監督作『スパイの妻』。
劇中のセリフを借りて「おみごと!」で済ませればいい気もするけど、それでは悔しいのでちょっと書く。
でも「次、どうなるの」という、いや、そもそも「これ、どういう話なの」というのが一級のサスペンスになってるんだから、ネタバレを避けるのは難しい。だからボカして書くけど、勘のいいひとなら展開を読む足しになってしまうかも知れない。

大まかに言うなら、これはもう、堂々たる蒼井優のスター映画だろう。「戦前の富裕層の若妻」という設定のもと、印象的な喋り方も含め、ある種の様式に追い込んだ芝居なのだが。観ているうちにこの役は、彼女以外には演じられないようにさえ思えてくる。
あえて言えば、秋篠宮紀子さまぐらいか。お芝居遊ばされるかは知らないけど。

そしてこの映画の中では、戦前の富裕層の趣味人にとっての「映画」というメディアが扱われる。溝口の名が出て、それどころか山中『河内山宗俊』(1936)のタイトルが登場する。ヒロインは夫の趣味の自主映画で素人女優となる。
かといって黒沢監督は大林宣彦監督ではない。映画の冒頭に「A MOVIE」と出すたぐいのことは、絶対にやらない。いや、周防正行監督の『カツベン!』(2019)のように映画を扱うとも思えない。それは本作の中で、おぞましき記録映像を再撮影した「映画」が登場するだけの違いではない。そこまでなら、高橋洋の世界とも通じるような我々のよく知る黒沢清さんだ。『蛇の道』(1998)の娘のビデオ映像と同種である。

大事なのは、この映画の中の蒼井優が、芝居の様式性も含め、いかにも映画女優らしく見事であり。その映画女優らしさが、昔風に見えながらも、昔の何かと同じわけでもない独自のものであり。その独自さのままに「素人女優」を演じて、映画内映画に登場するという入れ子構造があって。その構造によって彼女自身が裏切られるときに、サスペンスが頂点に達した末の破局が、我々観客にとってはスクリーンの中で、彼女にとってはスクリーンの前で訪れるということなのだ。
これは観れば分かるが、冒頭に書かせてもらった「おみごと!」は、本作の中での素人女優の舞台挨拶である。

そしてまた、本作は「世界の終わりを描く作家」としての黒沢清監督の最新作であり、それとスター映画であることを(前田敦子主演『旅のおわり世界のはじまり』(2019)と違う方法で)両立させていることにも注目されたい。何となれば敗戦という日本にとっての「世界の終わり」は、「本当にあったこと」なのだ。

サスペンス演出はますます巧い。そこは本当に貴重だ。東出昌大ウイスキーを勧めるシーンの充実ぶりを見よ。

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スパイの妻<劇場版>