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バーホーベンの芸能魂『ベネデッタ』(2021)

書き下ろしです。

世界で最も身も蓋もない大監督、ポール・バーホーベンの新作『ベネデッタ』を、ヒューマントラストシネマ渋谷で観る。

17世紀イタリアの修道院を舞台に、幼い日には聖母マリアに、成長してキリストに近づいた(と、本人も周囲も思い込むような)尼僧ベネデッタが、レズビアンの愛欲に溺れながらも、院長に昇り詰めるのだが…という話。
ペスト流行期の終末的な世相と欲にまみれた宗教界を背景に、並外れた思い込みの強さゆえのカリスマ性を持つ主人公の自己中心的な行状が周囲の人物を破滅に導くのを描く一種のピカレスクロマンだ。ということで、まずベネデッタの人物造形が見ものである。

開巻まもなく、彼女の幼き日に、聖母マリアの奇蹟と思えば思えないこともない事件が続けて起きる。その即物的な描写ぶりは、どこか観客に「見たよね? 起こってしまったんだから仕方ないよね?」と言わんばかりの法螺吹きめいた語り口を感じさせる。宗教的題材ということもあって、ちょっとブニュエルを思い出した。
それが大人になってレズの相手と運命的な出会いをしてからは、どんどん俗な方向に走り始めるのが、バーホーベンらしい。もちろんブニュエルだって通俗なのだが、どこかインテリっぽいのに比べて、もっとあけすけなのだ。ベネデッタがイケメンなキリストの幻を見て欲情するのなんか、ほとんどマンガである。仮にブニュエルをたけしとしたら、志村けんの世界に近い。このおじさん、変なんです。そうです、私がポール・バーホーベンです。

思えば同じバーホーベンによる「常人離れした女の話」でも、前作『エル ELLE』(16)はもっと渋かった。渋いながらの歪み具合が凄かったのだが、今回は時代劇ということもあってか、容赦なくエスカレートする。
夜空には彗星が燃え上がり、路上はペストの死体でいっぱいだ。修道女の身投げも火刑も、群衆の目の前で残酷な野外劇のように繰り広げられる。レズビアン・セックス描写は、耽美というよりパワフル。役者陣の熱演もおどろおどろしく、楳図かずおの女の絶叫をリアル化したようだ。
特に修道院長役のシャーロット・ランプリングはノリノリで、一世一代の大名演を繰り広げる。「この映画に出演しない理由が見当たらない」と言い放ったそうだが、かつての美貌の毒婦女優が御歳七十五にして新たな代表作をモノにしたのには、拍手を送らざるを得ない。

クライマックスは、ここまで盛り上げるか、いいや、まだまだ!-と、タガの外れた力づくの展開。騒々しくて血みどろで、まさかの『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997)のバーホーベン節だ。
果てに視界に広がる美しいエンディングは、芸能の浄化の世界。悲惨なドラマを突き詰めたゆえに得られる爽やかさ。芸術ではなく芸能だ。だが、この芸能を捧げる神はいない。いないがゆえの悪の人間讃歌。欲望にたぎる人間のある種の徹底ぶりをこそ、バーホーベンは称える。
敬虔なキリスト教信者はもちろん、物事を真面目に考えるひとは「猛毒危険!」と警戒して観るべき、芸術映画っぽい外面の一大娯楽活劇である。