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ほたる企画作『短篇集 さりゆくもの』(2020)

Facebook の 2022/2/9 の投稿に手を加えたものです。

ケイズシネマで、女優のほたるさん企画・プロデュースの『短篇集 さりゆくもの』(2020)。

一本目、ほたる監督作品『いつか忘れさられる』。井川耕一郎監督作『色道四十八手 たからぶね』(14)の残フィルムで作ったというサイレント映画。いつかは溶けさる雪の町を舞台に一家族の悲しみのときを描いており、1カットごとに映画を発見していく初々しさと、大人が作った映画らしい厚みが共存している。「さりゆくもの」という大テーマにいちばんしっくり来るドラマとして作られているのは発案者ならではだが、終わってからも場面はかなり「残る」。駅で大切なものを渡されるところ、ほたるさんの芝居ももちろん見せるが、電車内のふたりの影の中にいる感じが、フィルムならではだ。芦澤明子さんの撮影は、スタンダード・サイズがキマっている。祷キララを観るのは三度目と思うが、映画ごとに魅力が一新されて逸材だ。

二本目の『八十八ヶ所巡礼』は、小野さやか監督によるドキュメンタリー。妻をなくした初老の男性の四国八十八ヶ所巡りを個人的な親密さを込めて撮っているのだが、事実ならではの思いもかけぬ結末を迎える。飾らない撮り方は好感大で、寺の境内での一連やバスの別れなど、凄く「気分」が伝わる。だが多くのひとを驚かせ、戸惑わせるのは、亡きひとへの語りかけをカメラに向かってやってもらう大胆さだろう。直面している観客としての自分の立ち位置が揺さぶられ、ドキュメンタリーからひょいとフィクションとしての冥界に通り抜けたような不可思議さ。さらに驚くのは、同じことをもう一度(個人ではなく)一家族にやってもらったときに、子供だけがカメラではなく墓に目を向けて喋っていることだ。作者の企みを超えたところで、映画は豊かになる。

三本目、山内大輔監督作品『ノブ江の痣』は、残虐な悪夢のようなグロテスク・ホラー。結局はさりゆけなかった不幸な女の話。杉浦檸檬の不注意な色気がいい。

四本目の小口容子監督作品『泥酔して死ぬる』は、個人的には「アングラ」という言葉のイメージにピッタリはまるようなものだ。俺も飲み過ぎに気をつけなきゃな。才能ある映画作家である加藤麻矢が出てきて、芝居してたのに驚いた。

最後のサトウトシキ監督作品『もっとも小さい光』は、警備員のバイトをしながらカノジョと同棲している男のもとに母親がやってきてからの顛末を描いた劇映画。冒頭、狭いロケセットで同居する三人の関係と雰囲気をうまく描くところからして、ベテランの手応えだ。母親とカノジョが既にうまくやってるのが嫌味にならないのは、映画としての品の良さ。主人公の先輩警備員のコメディ・リリーフ的な使い方も、巧いだけでなく品がある。この巧さ、品の良さがあった上でこそ、役者の良さに任せられるのだろう。例えば、おにぎりが小道具として使われるのは、シナリオの手といえば手なんだけど、最終的にそれを活かすのは二人の男の役者なのだ。そして女二人の方も別れのシーンで哀感を漂わせ、抱き合って離れるカットつなぎで、ほんの少し動きがダブるように見えるのもいい。子育てノートのナレーション、この母は、本当にこういうことを書いてそうに思えた。ラストは主人公が走り出すところで「うわ、物凄く恥ずかしいことになったらどうしよう」と(愚かにも)心配しかけたが、きれいに、爽やかに終わってくれて良かった。オムニバス全体の良い締めくくりにもなったと思う。

さりゆくものには、残るものがいる。映画が終わり、残った観客たちはトークショーに立ち会い、出口で35ミリフィルムを貰う。俺の手元には、雪景色が残った。映画は常にさりゆくものとして体験されることで、生きることに直結する。だからこのオムニバスを映画館で体験できて良かった。

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