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中高年血迷い映画『嘆きの天使』(1930)

2018/5/29 の Facebook 投稿に手を加えたものです。

映画には「中高年の男が若い女に血迷って人生を狂わせる」というパターンが確実にあって、ジャン・ルノワールの『牝犬』(31)など代表例だが。
これに触発されたフリッツ・ラングは『飾窓の女』(44)『スカーレット・ストリート』(45)を残した。ルイス・ブニュエルもお手のものの題材で、特にフェルナンド・レイが素晴らしい遺作『欲望のあいまいな対象』(77)は強烈だ。これらほどの世界的名作でなくとも、犯罪映画や成人映画には数え切れないほどあるだろう。

今回はそんな「中高年血迷い映画」の大古典、『嘆きの天使』(30)を取り上げてみる。

エミール・ヤニングス演じるお固い教授がマレーネ・ディートリッヒの踊り子に夢中になってしまい、ついには職をなげうって結婚までするのだが…というお話。
監督はジョセフ・フォン・スタンバーグで、以後、ディートリッヒとのコンビ作を連打していく。

ところで巷に「昔の映画はテンポがのろい」という風説があって、それはだいたい嘘なんだけど。一致する時期もあって、トーキー直後は急にのろくなる。ジョン・フォードも長篇トーキー第一作『黑時計聯隊』(29)はのろいし、ラングの大傑作『』(31)でさえ(他の要素が面白いので観てられるけど)、妙に長い「間」がある。
んで、本作はもろにコレなんですよ。今さっきこの投稿の前に調べたら、ドイツ映画のトーキー第一作ということ。だから最初の方は割と「遅いなあ」と思っちゃう。

でもやっぱりディートリッヒが出てきてからは、惹きつけられる。当時28歳と映画女優として頭角を現すにはやや遅めだが、めちゃくちゃ色っぽいし、かわいい。
何より映画の作り手が「スター誕生」に立ち会う感激の中で、一所懸命に撮ってるのが一コマごとに伝わってくる。

そして最初と最後のキャバレー「嘆きの天使」のセットの使い方の見事さは、映画作りに関わる今のひとたちにも、大いに参考になるだろう。舞台脇の楽屋がメインなんだけど、螺旋階段を登ったところにディートリッヒの仮住まいがあり、なおかつ地下室もあるという構造の面白さ。
キャバレー自体は、舞台と入口、一部の客席を見せるだけで雰囲気を伝えるんだけど。クライマックスで主人公には地獄の場所となるシーンで、初めて舞台から観た客席の俯瞰ショット(客席の全体像)になるのは、うまい。それこそが、転落しきった教授には拷問そのものなわけで。ここんとこは実際に観て感覚を掴んで欲しい。

ただ、「中高年若い女に血迷いモノ」としては、主人公があまりにも明快に「プライドのある教授で癇癪持ちで思い込みが強い」というのが、漫画的に描かれすぎていて。ラングのエドワード・G・ロビンソンブニュエルのレイみたいな、「こういうひと、いそう」という絶妙感がないんだな。あらかじめ、ストーリーのために作られたキャラクターみたいな感じがある。ヤニングスが熱演すればするほど、その感が強い。
とはいえ、この愚かしい男の転落を「見世物」として映画にする上で、まさに「見世物にされている」クライマックスをこしらえたのは、なかなかの迫力だった。