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胸を打つ傑作『空に聞く』(2018)

書き下ろしです。

今年の3月、以前観た『息の跡』(2015)が素晴らしかった小森はるか監督の新文芸坐での特集に出かけ、『空に聞く』(2018)『かげを拾う』(2021)を観た。いずれも初見だが、特に前者がかなりの傑作で、驚き、心奪われてしまった。

小森監督は東日本大震災後の陸前高田に拠点を構え、さまざまなドキュメンタリーを作り続けているわけだが。ここでの主人公は、震災後にFM局のパーソナリティとなり、小さなスタジオでマイクに向かってアナウンスしたり、外に出かけて人々のナマの声を取材するなどして、番組を発信し続けてきた阿部裕美さん。

この阿部さんが、とても美しい。映画の美人女優みたいに美しいという意味ではなくて(いやいや、美人ではあるのだが)、控え目でありながらもどうしてもにじみ出てしまう人間としての魅力が映像に刻みつけられている。撮影している小森監督が「このひとは美しい」という思いを寄せているのが画面を充実させ、その思いが空回りにならぬほど、阿部さんが魅力的なのだ。

そして阿部さんがラジオの取材等で関わる人々の表情や喋りも、「生き生きと捉えられてる」…などという言葉では済まされないほど迫ってくるものがあるし。『息の跡』でも思い知った実景ショット(という言い方はドキュメンタリーでも当てはまるのかな?)の美しさは息を呑むほどだ。

特にきらびやかな山車を人力で動かす祭りの夜と、真昼の連凧の場面は強い印象を残す。理屈抜きに美的に胸を打つのはもちろんだが、作品の主題的にも、地を這うように動く山車と、連凧の揺れる突き抜けるような空の両方が描かれることに、深い意味があることを感じとる。
祭りは今なお大地に生きる人々の、空へ昇った死者の魂へのメッセージなのだ。そうした意味を観客は阿部さんの言葉を通じて知りうるのだが、このときの阿部さんの真摯さがまた感動的である。

結局、阿部さんのラジオ・パーソナリティ生活は突然、終わりを迎えるのだが。その後の食堂で働く姿は、映画の本題からはすでに離れているはずなのに、なおも美しく、目を惹き続ける。それはまさに阿部さんが、恐ろしい破壊と多くの死をもたらした震災の現実を経て、そして、その後のパーソナリティの日々を経て、「現在」を生き続ける姿だからであり。さまざまな体験を経てなお「生きる」ことを見つめるのが、この映画なりの責任をもったあり方だからだ。
そしてまた、いまを生きざるを得ない観客にも、この映画に触れたことが貴重な体験として残るのだ。

なお、『かげを拾う』の方も、見応え充分なドキュメンタリーである。震災後のゴミの中からアートの素材を拾い集め、ちょっととんでもない感じの作品を作る青野文昭さんの生き方、小森監督の捉え方は、非常に興味深く、"面白い"。