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伊藤詩織監督作『Black Box Diaries』(2024)をキノシネマ新宿で。
本作で扱われている監督自身が被害を訴えている事件に関しては、大きな話題になったのでほとんどのひとが知っているだろう。いまひとつ掴めてないという方には、著書『Black Box』を出した際の日本外国特派員協会での会見の記録(2017年10月24日)や、BBC制作のドキュメンタリー番組の紹介記事(2018年6月29日)などが役に立つと思う。
本作を観て、まずホントに単純な感想だが不同意強制性交は酷いと思った。その上で矛盾するようだが、映画は通り一遍の事件告発ではない。むしろ-ちょっと心配になるほど-よく知らないひとに向けた明快な事情説明は、後回しにされる。
それよりもまず「顔と身分を明かした性犯罪事件の告発者」としての自身の(及び周囲の)記録であることが強調される。タイトルの Diaries とはそういう意味だろう。そして見えてくるのは、対加害者、対世間、対権力、対自分自身…という何重の意味での困難な「戦い」であり、「生きることの発見」へのあがきなのだ。
その過程が一本の映画として成立していく上で、伊藤詩織監督は-誤解を恐れずに言えば-魅力的な被写体であり、それはどこから撮ってもキマるような美人である「事実」に加え、本来はおおらかで正直であろう人柄が表に出ていることにもよる。
この映画はそんな監督自身の自画像とも言えそうだが、その顔は単なる自撮りだけではなく、明らかに他者により(表面的な意味だけではなく)「美しく」撮られてしまっている部分もある。それらが記録を通じた「自身の発見」として現在進行形的に再構成されるのは、刺激的でスリリングだ。いったい誰が本作を観る前に、グローリア・ゲイナーの「恋のサバイバル(I Will Survive)」のメロディを口ずさみながら映画館をあとにする事態を、予想し得ただろうか。
後半の重要なシーンであるホテルのドアマンとの会話で、隣席の兄ちゃんがすすり泣いているのが分かった。ふだん映画で泣いているひとを見て泣くのは抵抗のある自分だが、ここには本物の涙があるように思えた。人間の根本に触れる救いへの涙だ。
その上で重い意味を明らかにする水に散った桜の花びらのイメージ。これもまた涙と見ることは、明らかに単純なセンチメンタルを超えている。
戦って得られた詩は深い。