鑑賞録やその他の記事

『あのこは貴族』(2020)

Facebook に 2021/ 4/13 に投稿した記事に手を加えたものです。

あのこは貴族』を池袋シネ・リーブルで。
東京の裕福な家庭の娘、門脇麦と、地方出身で苦労する水原希子の、対照的なふたりの生き方を描く。ちなみにタイトルの「貴族」とは本物の名家というより、「『あのこ』って『貴族』よね」と女ともだちに語られるようなニュアンスだ。すんごいお金持ちのお嬢さんよね…ということ。
開巻しばらく門脇の結婚相手探し(「こいつはねえだろ」という男と次々と会う感じがうまくユーモラスに描かれてる)から「運命の人」っぽい高良健吾との出会いと婚約までを描き、いきなり第二章に切り替わって、高良との関係を引きずる水原の話となる。
美しいヒロインふたりがなかなか自然な芝居で、演出とカメラは人物の表情を繊細に捉え、シーンごとの人物の位置関係の捌き方もうまいものだ。
門脇との関係で「雨男」を告白する高良が次に(時系列的には過去に)大学で水原と出会うときに、外では雨が鉄柵(なのかな?)に叩きつけられているカットから窓越しの教室内に芝居場が移る呼吸の巧みさ。門脇が高良の家族と会う緊張のあとで、日本庭園の飛石を不器用に渡る後ろ姿の人間味。岨手由貴子監督、作品を観るのは初めてだが、なかなかの力量だ。
俺などは演出がこれぐらい充実していて、役者が良ければ(おまけに「好み」でもある)、もうそれだけで満足。「観てよかった」と言ってしまえるのだが、でも実は、「結局おもしろかったの?」と言われれば、あまり自信を持って頷けはしない。というか、他の観たひとに「あんまりおもしろくなかったよね?」と言われれば「そうかも?」と口ごもりそうになる。
なぜなら、彼女たちの出会いがおもしろいドラマを作らないからだ。なるほど、門脇の人生の「決意」には水原との出会いが「意味」は持っているだろう。でも、それぐらいはドラマになる上での最低ライン。さあ、ここまでそれぞれに対照的なふたりを描きました、彼女たちが出会うとどうなるでしょうか-という構成の趣向を活かすに充分な展開があったかというと、そうは思えないのが、残念だ(※注)。そこそこに納得できる落としどころに落ち着いて、映画を終わらせたように思えてしまう。
とはいえ、ふたりが出会う場面そのものは、頑張って描いていて見応えがある。特に二回目の出会い、タクシー内の門脇の表情で、観ているこちらが「あ、(水原を)見かけたな」と思うや、次につながる場面の見事さは息をのんだ。ここだけなら絶賛してもいい。こういうのを観たいから、映画を見てるんだよ。
水原の親友役の山下リオが『寝ても覚めても』(18)を思わせる好演。

注:念のために言っておくと、ふたりに高良を巡ってバチバチの対立をさせろって言ってるんじゃないですよ。コントじゃあるまいし。