Facebook などへの複数の投稿をもとにした書き下ろしです。
今年7月、シネマヴェーラ渋谷でアンソニー・マン監督特集があり、西部劇というジャンルを代表する名作のひとつ『ウィンチェスター銃 '73』(1950)を久々に再見。大昔の正月休みに、京都の深夜テレビでラオール・ウォルシュ『死の谷』(49)と連続で観て大興奮したものだけど、やはり劇場で観ると圧倒されてしまった。
そこで今回は、本作に始まるマン監督ジェームズ・スチュアート主演の一連の作品のうち、特に西部劇5本に焦点を当ててみようと思う。
まずは『ウィンチェスター銃 '73』。
ストーリーは今さら紹介するまでもなく、主人公ジェームズ・スチュアートの因縁の復讐劇を縦軸に、「千にひとつ」の名銃が人の手から手に渡っていくのを追ったもの。その所有者が変わるごとに射撃競技・商取引と賭けポーカー・騎兵隊の野外戦・籠城戦と焼き討ち…と趣向を変えた見せ場が設けられ、それぞれにマン監督の名人芸が味わえる。
この設定はこう見せる-というのがいちいち筋が通っていて、これ1本で1年間の演出講義の教材に使えるぐらいだ。
いよいよ最後の因縁の対決で、前触れの音楽のようにシェリー・ウィンターズの酒場女のピアノが鳴る。ここからの狭苦しい酒場の内外での縦横無尽のカメラワーク、人物の動かし方は本当に凄い。
町の銃撃戦から、主人公が仇敵を追って馬を走らせる。カメラはひたすら、馬で遠くから手前に来るカットを、重ねていく。だんだん高くなっていくのを見せる意味だけでなく、最後の決闘へとギューっと焦点が絞られていくような気持ちにさせられる。
そして岩山へ。このクライマックスは初見から今まで何度観ても、手に汗握ってしまう名シーンだ。
ちなみに昔から謎に思っていた冒頭の射撃競技での保安官ワイアット・アープが、上着をバッサバッサと動かす仕草。これは今回見て、着慣れぬ正装が暑苦しくてやっているのだと思った。
次なるコンビ作は1952年の『怒りの河』。
ここからはカラー作品となり、特に本作には「派手な娯楽西部劇を作ってやろう」という意気込みが強く感じられるように思う。
ここでスチュアートが演じるのは、西部に向かう開拓民の道案内人。
典型的なウエスタン・ロードムービーなわけだが、まず幌馬車隊の規模の大きさに圧倒される。しかも陸路ばかりではなく、蒸気船による航路も入ってきてスケール感が増す。
見せ場はいろいろあるが、特に気に入ったのは、酒場での顔役との交渉決裂から撃ち合い・脱出・船で出発のアクションの釣瓶打ち。こうしたスピード感は最近の映画では観られない気がする。
クライマックスの渡河から水の中の戦いへの展開も手に汗握り、後味も良くて大いに楽しめる1本。
なお『ウィンチェスター銃 '73』では強欲なインディアンの酋長として脇の敵役扱いだったロック・ハドソンが、こちらでは出番が多くガンさばきも華麗なハンサムを演じている。
翌1953年には『裸の拍車』。
この映画では、スチュアートがロバート・ライアンのお尋ね者を捕まえて、賞金を得るために町へ連れて行く旅が描かれるのだが。最初の20分のライアン捕縛までが、まず素晴らしい。
いかにもマン監督らしく岩山の上に陣取ったライアンが落石を仕掛けるのを回避しながら捕まえに行くのがサスペンスたっぷりで、心ならずも行きずりのクセ者たちとともに3人がかりでやり遂げたことから、この先の旅が不穏なものであることを匂わせる。ここにライアン唯一の味方として、ジャネット・リー演じる気の強い少女がついていくことになる。
同行の連中が全く信頼できないことに加え、スチュアート自身もトラウマを抱えた屈折した人間で、おまけにこれまでの2作ほどの手練れの西部男じゃないから、より危なっかしく、暗い旅にならざるを得ない。
やがて迎えるクライマックスでは、疑心暗鬼の人間関係が爆発したような激流と(マン的岩山の変奏となる)絶壁が舞台となり、目を奪うようなロングの俯瞰などを織り交ぜて一気に終局に向かう。
終わった後の余韻はかなり深い。
次が1954年の『遠い国』。
なお、この年にはマン&スチュアートの作としては『ウィンチェスター銃 '73』に並んで有名な『グレン・ミラー物語』も出ている。
ゴールドラッシュの時代、腕利きガンマンのスチュアートは牛の群れを率いて、黄金の採れる町、ドーソンを目指す。雪化粧の山々など大陸北部の風景が楽しめ、相棒役にはウォルター・ブレナンという西部劇では信頼のキャスティング。
しかし何と言っても素晴らしいのが、『ウィンチェスター銃 '73』の武器商人役でもいいところを見せたジョン・マッキンタイアの敵役で、横暴で狡猾な権力者ながら主人公を男として認めるスケールの大きさがいい。
ドーソンにマッキンタイアが現れてからの後半が良く、川辺で筏に乗ろうとするスチュアートとブレナンが襲われる場面の鋭さ、戦う決意を固めたスチュアートがズンズンと画面手前に来て銃を取らんとする迫力など、息を呑むものがある。
そして(疑似夜景ではなく)本当の夜間撮影を決行した対決シーンでは、アクションばかりでなく、それまで映画が語り続けた人間関係もが一気に決着に向かうのが、実にアンソニー・マンらしい。
それにしても、(スチュアートに歌を聞かせたがっている)コリンヌ・カルヴェを頑ななまでに歌わせないのは、不思議な作劇。最初は歌う予定が、音痴だったのかな?-と勘ぐりたくなるぐらいだ。
そして1955年にはこのコンビの西部劇最終作『ララミーから来た男』が出る。
この映画のみ今回のシネマヴェーラの特集にはかからなかったが、NHK BS などで近年放映されているので、そちらで御覧になった方も多いのではないだろうか。
これまでの4作がロードムービー的だったのに比べ、本作はひとつの地域が舞台になっていて、そこを牛耳る老牧場主ドナルド・クリスプの跡継ぎたちの対立などによる "王の落日" の物語が、ひとつの背骨となっている。
牧場主の見る夢に出てくる男が誰か…というのがひとつのポイントになるなど、少し不思議な感じの味付けが物語に神話性を帯びさせる。IMDbによると西部劇版「リア王」との声もあるそうだ。
同じマン西部劇でいえば、大牧場主ウォルター・ヒューストンが娘バーバラ・スタンウィックに負かされる『復讐の荒野』(50)と相通じるものがあるように思う。
さて、だいたいにおいてマン西部劇ではスチュアートは割とヒドい目にあうのだが、個人的には本作の掌を射抜かれるのがいちばん痛々しいと思う(その前にも馬で引きずられそうになったりもするが…)。マカロニじゃないので、こうなってしまうと手当を受けても早撃ちでの決着は望めない。
それでもマン監督らしい岩山(といっても今回は多少、木が繁っているが)での決着が、ちょっと陰惨な感じで用意されていて、その後は平和なエンディングを迎える。
と、ここまで5本続けて感じられるのは、まず対決を描くにしても単純な敵味方の対立ではなく、過去の因縁がかなり細かく設定づけられていたり、互いに繋がりや共通点があったり、場合によっては協力し合ったり、騙したり騙されたり裏切ったり…と、ドラマ的な紆余曲折を経て、最終的な戦いへと突入していくことだ。
その過程で先述のように主人公ジェームズ・スチュアートが傷つけられることも多いのだが。大切なのは、人間関係の葛藤・軋み・傷つけ合いの結果としての激闘にふさわしい場所として、岩山や河川といった自然の難所が設定され、映画ならではの興奮に引きずり込んでくれることなのだ。
特に高低の感覚についていえば、マン演出はちょっとした場面でも座ってたり寝転んでたりしている人間と立っている人間の関係が画面に立体的な力強さをもたらすことが多いので、地形的な高低がクライマックスで生かされるのも、実に自然に思われる。
そしてまた続けて観ると-ジョン・フォード西部劇ほどではないが-同じ役者が繰り返し出てきてくれるのも嬉しくなる。
先述のジョン・マッキンタイアやロック・ハドソンもだが、『怒りの河』『ララミーから来た男』でそれぞれ、味方のようにも思えたが最後の敵となる役を演じるアーサー・ケネディは重要だろう。他にもミラード・ミッチェル、ハリー・モーガン、ジャック・イーラムなどが、複数の作でマン西部劇の顔として映し出されている。
また、これらの中では1作限りの登場で、しかも主人公とそんなに深い因縁があるわけでもないが、ただただ凶悪なだけの怖い悪役として『ウィンチェスター銃 '73』のダン・デュリエや『遠い国』のロバート・J・ウィルクも印象深い。