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見事な綺麗事『PERFECT DAYS』(2023)

書き下ろしです。

ヴィム・ヴェンダース監督が日本で撮影し、役所広司がカンヌで最優秀男優賞に輝いた『PERFECT DAYS』(2023)を観た。

役所演じるひとり暮しの男、平山が、朝起きて車で出発し、渋谷各地の公園のトイレを清掃してまわる繰り返しの日々と、その中にささやかな変化をもたらす出来事の数々、そして平山自身の寡黙な賢者のような人間像を描く。

冒頭、朝日に染まる街の俯瞰にタイトルが重なり、滲んだような色合いの早朝の住宅街で箒をかける人物のローアングルのショットから、「シャ、シャ…」と音が繰り返される中、アパートの部屋に眠っていた平山のアップとなる。
ここでもう、みごとな "タッチ" を感じさせ「ヴェンダース、調子良さそうだぞ!」と思う。

そして始まるテキパキした段取りの出発の "儀式"、車でトイレを巡って清掃、神社の境内で昼食、仕事後の浅草地下街の店で一杯…といった一日の決まりごとを、繰り返し、繰り返し見せる。
通常の映画では一度描いたら充分なところを-合間合間の省略はあるとはいえ-律儀に繰り返すのだ。

だから退屈かというと、そうでもない。描写に魅力があるし、何より繰り返し自体に、何度も同じ旋律に戻ってくる音楽のような味わいがある。
かつてエンケン遠藤賢司)さんは「みんな純音楽家なんだ」と言ったが、まさにこの主人公こそ、生活という純音楽の演奏家な気がしてくる。
一日の終わりになると訪れるまどろみを実験的に表現した白黒映像も、よい区切りになっていると思う。

こんなふうに書いていくと慎ましやかな、禁欲的な映画かと思われそうだが-主人公の人間性はそうであるにしても-そんなことはない。
作り手側は過剰なぐらいやりたいことやってる感じで、趣味的な趣向も、「ちょっといいでしょ?」と言いたげな細部も満載である。割と自己主張の強い自主映画みたいなところはある。
だからまあ、芸のない作り手が真似すると大失敗しそうな感じは、物凄くある。

そして先に言った "出来事の数々" の中に比較的目立つ事件が3つあるのだが、それぞれについて、一歩間違えば観ていて気恥ずかしくなってしまいそうなポイントがある。
ひとつ、ネタバレをお許しいただいて、具体的に書いてみよう。

ある夜、平山のもとに高校生ぐらいの姪が転がり込んでくる。母親(平山の妹)と喧嘩して家出したのだ。翌日、いつものように早起きした平山についていき、トイレ巡りし、慣れぬ手つきで仕事も手伝う。一日の終りのお決まりの銭湯タイムも、それぞれの湯に入り、休憩所で落ち合ったりする。
橋の上、隅田川の流れを見下ろすふたり。
「この先、どこに続いているの?」と姪(ここから、セリフは不正確)。「海だよ」「行きたい」「今度ね」「今、行きたい」「今度は今度。今じゃない」「今度は今度…」「今は今!」
そしてふたりはそれぞれ自転車に乗り、「こんどはこんどー!」「いまはいまー!」と、明るく叫びながら、その場を立ち去るのだった…。

どうっすか? 文字面だと、相当、気恥ずかしくないっすか? 自分はおぼろげな記憶で書き起こしてて、「ヴェンダース、よくやるよ」と-あんまりよくない意味で-思っちゃいましたよ。

ところがこれが、そんなでもなく、見れちゃうのだ。他の "恥ずかしポイント" も、「これはこういうもの」という感じで、見れちゃうのである。
なんというか、この映画ならではの "タッチ" の良さ、全体の音楽的構成の中で成立しちゃってるのだ。ヴェンダースがその個性を極めた筆致で仕上げた絵本のような世界の中の出来事だから、オッケーなのだ。
その意味でこの映画は-ドキュメンタリー風にも見え、即興性をとりいれた演出にも拘わらず-よくできたツクリモノといえよう。

ツクリモノ…いや、もっというとキレイゴトと言えるかも知れない。平山の存在を含め、語られている内容の中核は、ヴェンダースがスタッフ・キャストと総力をかけて作り出したキレイゴト。
だから-この映画にしばしば指摘される行政や資本との絡みという意味ではなく-「こんなの、観てられないっすよ!」と言うひとが出てきても仕方ないし、何なら、気持ちは分からんでもない。俺だって映画でしばしば「キレイゴト過ぎてついていけないよ…」と思うこと、あるからだ。

しかし、それでもこの "作家性" に裏付けられた見事な綺麗事には、気持ちよくさせられてしまう。やはり多少の気恥ずかしさはあるものの、甘やかな語り口に解きほぐされたようになり、ニーナ・シモンの鳴り響く-もし他の監督が撮ったら-「うーん、ちょっとコレ、どうかなァ」と言いたくなりかねないラストも受け入れてしまう。
ただし「真似るな危険」という警告を自分に発しつつ-だ。

役者はみな見もので、特に女優陣が魅力的に撮られている。姪役の中野有紗なんて、デビュー作でこんなに美しく撮られて幸せだねえ…と感じ入ってしまった。