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おぞましい珍品『殺しを呼ぶ卵』(1968)

書き下ろしです。

新宿シネマカリテで『殺しを呼ぶ卵』。
マカロニ・ウエスタンの中でも特に残酷な『情無用のジャンゴ』(67)のジュリオ・クエスティ監督による猟奇サスペンスだ。以前 YouTube に英語版が全篇あがってる(※注1)のを発見し、冒頭を観ただけだったが、映画館でリバイバル公開されるとは。しかも初公開時の 90 分版には無かった残酷場面などを含めた最長版(110分)だという。

巨大養鶏場の社長(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、ホテルに呼んだ娼婦への残虐行為に耽る変態。美しい妻(ジーナ・ロロブリジーダ)に財産と経営の実権を握られる一方で、居候している妻の姪(エヴァ・オーリン)と密通。どうやら妻への殺意を抱き始めているようだ。一方で養鶏場はシステム化により、多くの労働者をリストラして恨みを買っている。ときには投石などもある緊張の中で、食用目的を極めた畸形ニワトリの開発実験を進めていた…。

『情無用…』でも見られた政治志向(※注2)はさらに先鋭化して、養鶏場は資本主義の象徴としてグロテスクに描かれ、資本家=ブルジョアたちの退廃・非倫理性を揶揄したようなエピソードも見られる。そうした「左翼的」な尖り具合が、人間の闇の暴露、さらには暴力的・猟奇的描写へつながるのは、60年代末という時代性の刻印といえるもの。同時代の日本映画界でも、思い当たるものはあるだろう。
サヨクへの賛否は置いても、その時代でしか生み出されなかった映画が、今でも「見てはいけないもの」のような危なさ、いかがわしさを備えているのは、確かに心惹かれる。

またこの映画は随所に大衆性を捨ててアートに向かうようなタッチが見られ、それが気取ってるわけではなく、生々しい創造性を感じさせたりする。冒頭のホテルの描写など、誰が何をしているのかいまひとつ分からず(分からせようという意志もあまり感じられず)、「謎めいた気持ち悪いドラマに引きずり込まれる感」が強い。ここだけ YouTube で観たときは、どこの ATG 映画かと思った。
これは編集が独特なこともある。カットとカットを切り刻んでぶつけることにより、物語を語るよりも観客を混沌に導く効果を狙っており、自分としてはミュージック・コンクレート(※注3)の映画版のように思えた。それが最初から実験映画なら珍しくもなかろうが、スターの出ているサスペンス・ミステリーの体裁でやってるのが、異様だ。

多くのひとが話題にするであろう畸形ニワトリが生まれた場面は、無気味ながら滑稽でもある。この誕生がトランティニャンの失態による偶然の科学的調合ゆえという不真面目さは、好ましい。当初は怯えていた妻が、科学者の言葉で一転して事態を歓迎する無責任さもいい。禍々しいドラマを、どこかで舌を出してるような、喜劇的精神で作っているのだ。
その点を踏まえれば、右往左往するトランティニャンは、陰鬱なピエロめいて見えてくる。そのピエロが-不本意ながらも-仕えている王妃がロロブリジーダなのだが、美しく撮られながらもキャラクターとして少し弱い感じもした。それよりはエヴァ・オーリンの弾ける若さとエロスが凄い。同年の主演作『キャンディ』をちゃんと見直してみたくなった。

個性的で物珍しい本作は、傑作とはいえないかも知れない。だがときには良く出来た映画よりも、このような、まがまがしくていかがわしく、滑稽でもある珍品を観ることの方が、忘れられない体験となるのだ。それが映画館の暗闇でなら、なおさらだ。

注1:本記事執筆時、英語版・イタリア語版の両方があがっていた。興味ある方は、それぞれのタイトル("Death Laid an Egg" / "La Morte Ha Fatto L'uovo")で、検索されたし。

注2:本ブログの記事「政治映画としてのマカロニ」参照。

注3:録音した騒音・自然音・生活音等々を編集して音楽とする一種の現代音楽。有名なところではビートルズの『レボリューション9』でこの手法が採られている。