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45年のB級2本『犯罪王ディリンジャー』『私の名前はジュリア・ロス』

2019/12/27 の Facebook 投稿に手を加えたものです。

シネマヴェーラでマックス・ノセック『犯罪王ディリンジャー』ジョセフ・H・ルイス『私の名前はジュリア・ロス』と、奇しくも同じ1945年に作られた言葉の本来の意味での「B級映画」を、二本立てのように続けて観る。
いやあ、面白かった、充実した! しかも合わせて2時間20分程度だぜ。

『犯罪王ディリンジャー』はタイトル通り、1930年代に悪名を轟かせた実在のギャング、ジョン・ディリンジャーが小悪党から大悪党になり、死に至るまでをテキパキと見せる。

まず最初にキング・ブラザーズ制作と出るだけで「おお、あのヤクザなおっさんの会社か」と嬉しくなり、これだけでも『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2015)は観て良かった(※注1)。
二面ぐらいしかなさそうな低予算セットのドラマ部分と、ラングもインタビューで愚痴ってた他の映画から流用したフィルムを組み合わせて(※注2)「激動の生涯」のいっちょあがりという非常に好ましい作り。
主演のローレンス・ティアニーの危なさが凄く、ディリンジャーと言うと俺の世代ではウォーレン・オーツの印象が強いのだが、現実では近づきたくない度合いではティアニーが勝る。
ノセック演出は野心的とまでは言わないが非常に心得た職人技で、ギャング仲間の脱獄決行までの気のもたせ方や、ディリンジャー単独の脱獄劇、最初のリーダー格の男(このエドモンド・ロウが素晴らしい)を殺すところなど、見せ場となるエピソードをきっちりと消化していく。
最後の方のディリンジャーの潜伏生活は、駆け足語りの映画にもかかわらず、疲れ、焦っている感じを巧みに出している。窓外に無邪気な子どもたちが見えるのも効果的だ。
ももクロZ女戦争」の歌詞にも出てくる "赤いドレスの女" を演じるのはアン・ジェフリーズで、実にB級ヒロイン顔。ギャングのひとりに「またしても!」という感じでエリシャ・クック・ジュニアが出ているのが嬉しい。この嬉しさは、東映映画で川谷拓三を見つけたときに近い。

この『ディリンジャー』もそうであるように、低予算映画は比較的一方向からの引き目のカメラを中心にざっくりと撮る生々しさが特徴にならざるを得ないのだが(それが魅力に転ぶか単調に終わるかが勝負)。
『私の名前はジュリア・ロス』のルイス演出になると、冒頭の雨の中を帰ってくるヒロインの後ろ姿からアパートの廊下でもしばらく背中から撮る巧みな語りに、才人の余裕みたいなものを感じる。

まあキング・ブラザーズ(ルイスの傑作『拳銃魔』(50)もここ)よりは、お金を出してくれそうなところが作った感もあるのだが。ヒロインの顔が映されてすぐ、イヤミな清掃婦を嫌いもせず対応する様子から浮世離れたお人好しぶりが伝わり、それゆえトンデモ犯罪計画の餌食にされていくのが、自然に納得できてしまう。
いつのまにか知らない他人に仕立て上げられるという不条理劇的なミステリに、ぐいぐいと引き込まれる傑作。どちらかというと脇役女優っぽいニナ・フォック(巧い!)が主演なのも、適材適所の感がある。
本題の海辺の豪邸の監禁劇になってからは、ヒロインが追い詰められていくのを唸る演出の連続で見せる。
門番の目を盗んで助けを乞う紙切れを投げるスリルや、警察が来たのと間違えて村の牧師とその妹夫妻にすがってしまう面白さ。ニセ医者が出ていったとたんに本物の医者が来る皮肉…極めつけは、暗闇の囁き声に誘い出されて階段の罠に落ちそうになるブラック・ユーモア混じりのサスペンス!
ラストのオチも鮮やかに決まり、ある主要人物が撃たれて倒れる大熱演は感動してしまった。人物の顔もみな印象深く、非常に頭のいいひとの作った大人の娯楽映画だ。

注1:『トランボ…』では、いわゆる "赤狩り" でメジャーな映画会社から追われた脚本家のドルトン・トランボに仕事をくれる男として、キング・ブラザーズのフランク・キングが登場する。これがなかなかヤクザな乱暴者に描かれていて、笑わせてくれるのだ。演じるはジョン・グッドマン

注2:フリッツ・ラングのインタビュー本『映画監督に著作権はない』(フリッツ・ラングピーター・ボグダノヴィッチ 著 井上正昭 訳 筑摩書房)のタイトルは、自作のシーンを会社から会社に売られて他の映画に流用されてしまう監督のやるせなさを表している。本の中に、ラングが『犯罪王ディリンジャー』を観ている最中に自作『暗黒街の弾痕』(37)の銀行強盗シーンが使われているのを発見して、「これは俺の映画じゃないか!」と叫ぶ話が出てくる。

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犯罪王デリンジャー(字幕版)