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カルナータカ音楽映画『響け! 情熱のムリダンガム』(2018)

書き下ろしです。

レコードそして CD と音楽はディスクで聴く世代の自分も、時代に逆らえず遂に Apple Music に登録。以来、「昔ちょっと興味を持ったがのめり込むまでいかなかった音楽再発見の旅」を続けていて、最近はワールド・ミュージックのターンに入ってたのだ。
そんな折、ふと思い出したのは高校生の頃、友人に聴かせてもらった南インドのヴィーナ(※注1)のアルバムで。奏者もジャケットも忘れてしまったが、その時一緒に聴いた世界的に有名な北インドラヴィ・シャンカールシタールより身体にしみ込んできて、「(余韻が深くて)この後、しばらく他の音楽を聴けなくなるね」と、感想を言ったのを覚えている。逆に、それがのめり込まなかった理由かも知れない(次から次へいろいろ聴きたいお年頃でしたからね)。

でまあ、「あれは何だったんだろうね」と Apple Music で南インドの古典音楽を探してみて、ジャンル的には "カルナータカ音楽" と呼ばれているのを知って、いろいろ聴いてみるとどれも良くて、中でもヴィーナのS.バーラチェンダー、歌のスダ・ラグナタンにアルナ・サイラムあたりは気に入った(※注2)。
少年時に感銘を受けたアルバムはなかったが、その後 Facebook を通じて親切な方から「これでは?」と写真を見せてもらった『南インドの音楽 ~ナゲシュワラ・ラオのヴィーナ~』がそのものズバリで、音源も YouTube で見つかったのだった。

前置きが長くなったが(というか今回は半分、音楽の話題だが)、このタイミングでカルナータカ音楽にスポットを当てた映画が公開中と知れば、観に行かぬわけにはいくまい。
響け! 情熱のムリダンガム』(2018)がそれで、東京国際映画祭に『世界はリズムで満ちている』の邦題で上映されたのを、何と、荒川区南インド料理店「なんどり」が配給・公開に漕ぎつけたという。
ちなみにムリダンガムとは、カルナータカ音楽で使われる手で叩く両面太鼓だ。「ムリガンダム」と間違えないようにしたい(マジで自分はたびたび間違える)。

主人公ピーターは、南インドのタルミードゥ州都チェンマイに住む若者。勉強そっちのけで友だちと人気映画スターの "推し活" にいそしんでいる。ある日、父が仕事で作ったムリダンガムを巨匠ヴェンプ・アイヤルが叩くのを見学して衝撃を受け、自らも奏者になるのを志す。思い立ったら一途なピーターは、巨匠に弟子入り志願するのだが…。

という分かりやすい青春熱血芸道もので、庶民的で一本気で共感しやすい主人公に、彼を心配する優等生ヒロイン、父と師匠という立場の違う人生の先達、憎まれ役の兄弟子に、その姉のどぎついまでに俗なテレビ人、友人からライバルに転じるお坊ちゃん、気の置けない仲間たち…とキャラクターを揃え、役者もピーター役のG.V.プラカーシュ・クマールをはじめ適材適所で、しかも皆、がんばっている。
個人的には父親役のイランゴー・クマラヴェールとテレビ人役のディヴィヤ・ダルシニが気に入った。ダルシニは本職の人気テレビ番組ホストということで、現地のひとが観るとリアルなのだろう。なのにテレビという媒体を使って主人公を陥れるような役を、よく引き受けたもんだ(※注3)。

ラージーヴ・メーナン監督の演出は特に優れてるとも思えず、シーンごとに配置した人物に平面的な芝居付けしたのを、細かめの定型的なカット割で押し切る深みに欠けたテレビドラマ的なもので(※注4)。物語の消化の上でも、例えば重要なターニングポイントであるはずの主人公が騙されてテレビに出演してしまうところなど、もう少し-観客が「マズいぞ、ピーター!」と思いながらも、一方では、巧みに陥れられていくのを物語的に楽しむような-うまい段取りを組めなかったものか。
全体にこの映画は、偶然だろうが-のらくら者の主人公が打楽器奏者の道に目覚め、敵役に手を傷つけられ、クライマックスでは横並びして打楽器合戦をする…などの点で-石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』(1957)に似てるが、演出技術的には、同作の井上梅次監督(及び1966年のリメイク版舛田利雄監督)の方が遥かに上手い。

とはいえ先述のように役者たちがイキイキしてるのは演出家としての功績だし、話を盛り上げるために揃えたキャラクターとエピソードを-巧みとは言えなくとも-絵本的に分かりよく見せることは、やってくれている。だから「いい話だったね」と、気持ちよく観終えることはできる。好感の持てる劇映画には仕上がっているのだ。
またパンフレットにある「配給までの道のり」などを読むとこの監督は相当の好人物らしいが、そういうひとが作った人懐こい感触はある。

しかしまあ、本作の魅力はドラマ演出より音楽的要素だろう。
テーマとなっているカルナータカ音楽のライブ・シーンはしっかり見せてくれるし、舞台上ではメインである歌手ではなく、ムリダンガムに焦点を絞った撮り方も新鮮だ。
またミュージカル的に様々な歌が楽しめる "ザ・インド映画" としては、『ムトゥ踊るマハラジャ』(95)『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)などの実力者A.R.ラフマーン音楽監督の手腕が光る。特に「世界はリズムであふれてる」「我々の時代はいつ来る?」といったナンバーでは、ムリダンガムのみではないインド古典音楽の様々な打楽器の合奏をフューチャーして楽しませてくれる(ただし "ミュージカル・シーン" として演出的に最も良かったのは、ピーターが巨匠の家の前で小さな太鼓を叩いて子どもたちを踊らせるところだったと思うが)。
その他、後半の主人公の "音楽の旅" のシーンでは、インド各地の現場でいろんな楽器が奏でられる様子が見られるし。テレビの音楽バトル番組のシーンでは、打楽器のみならずヴィーナなど様々な楽器のソロ演奏が断片的にではあるが見られて興味深い。
ムリダンガムに話を戻すと、リズムパターンを口で唱えて教え、叩かせるレッスンの様子なども見られる(※注5)。

映画の楽しみ方にはいろんな面があるが、"音楽めあて" では、強くオススメできる作品であることは間違いない。
「(ダンスホールより前の)レゲエを知りたい」というひとに「じゃ、まず映画の『ハーダー・ゼイ・カム』(1973)を観てみなよ」というのは、アリでしょ? 自分もこの映画を観る主要目的に「カルナータカ音楽や、その周辺のインド音楽をもっと知りたい」というのがあったわけだし、その点ではかなりピッタリだった。

そしてこの映画で最も見逃してはならない点に、インドのカースト制度、すなわち差別の問題と娯楽性との両立がある。
主人公が当初は弟子入りを断られる理由や、太鼓職人の父の故郷の描写に、差別されることの矛盾・悲しみ・怒りが込められて、だからこそより一層、感情移入できるのだ。社会的な問題に向き合うことが-そのことで評価して欲しいというイヤらしさを感じさせず-自然に映画のパワーになっている。これは美しいことだと思う。
付け加えると "太鼓職人の差別" は、日本人も他人事にはできない問題なのだ。和太鼓がどういう人たちに作られてきたか、もしも御存知なければ "太鼓作り 差別" などの語句で検索してみて欲しい。
ピーターの抱える問題は、日本の問題でもあるのだ。

注1:シタールに似て非なる南インドの楽器。ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが抱えているサラスヴァティー・ヴィーナなどの種類がある。

注2:スダ・ラグナタン Sudha Raghunathan の『シャクティShakti (Sacred Song from Southern India) はハツラツとしたキレイな歌声で聴きやすいアルバムで、この手の音楽の入門用にいいんじゃないでしょうか。
Apple Music https://music.apple.com/us/album/shakti-sacred-song-from-southern-india/1081085912
YouTube  Music https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_lYfIb8quIaKuk7T5tu2KNLoNh4x8eUfDY&feature=gws_kp_album&feature=gws_kp_artist

注3:出演者のひとりである声楽家のシッキル・グルチャランも、自分の職業そのままの役で、大先輩の打楽器奏者に嫌な感じのセリフを言ったりする。

注4:もちろん "テレビドラマ" が、深みに欠けているという意味ではない。"深みに欠けたテレビドラマ" のことを言ってるのだ。

注5:配信で見つけた "Mridangam Teachings in Adi Talam: Tirunelveli 1969" P.S. Devarajan というのが、ムリダンガム・レッスンをたっぷり聞かせてくれて、興味深い。
Apple Music https://music.apple.com/us/album/mridangam-teachings-in-adi-talam-tirunelveli-1969/447117102
YouTube Music https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kdb1Fcrnnk7yTZfCgkvDiOHR0H6S06hso&feature=gws_kp_album&feature=gws_kp_artist

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