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至高の傑作『ボディ・アンド・ソウル』(1947)

Facebook の 2013/9/3 の投稿に手を加えたものです。

DVD(※注1)でロバート・ロッセン監督作品『ボディ・アンド・ソウル』('47)。久しぶりに見直した。我が生涯のベスト作品の一本である。

タイトルは有名なスタンダード・ソングから。歌ならビリー・ホリデイ、演奏ならコールマン・ホーキンスが決定版か。
とはいっても音楽映画ではなく、肉体(Body)で生きるボクサーの魂(Soul)の物語。フィクションではあるが伝記映画風であり(貧困家庭で育ちボクサーでもあったロッセン自身の経験が反映されているという)、スポーツ映画であり、そして何よりフィルム・ノワール的だ。

主演ジョン・ガーフィールド、オリジナル脚本エイブラハム・ポランスキー、助監督ロバート・アルドリッチという物凄いメンツ。特にアルドリッチはこの映画を生涯お手本的な作品と見なし、何かというと振り返って参考にしたという。
実際、観ているとここには映画に必要な全てがあるような気がしてしまう。ノワールなタッチにふさわしい傷ついた主人公の回想という形式、細かいところまで考え抜かれた人物造型、社会派的な貧困の描写、物語を進める上での "犠牲者" の役割、真心のヒロインとファム・ファタール、大胆な省略と繊細な描き込み、そして何よりアクションそのものを通じて成されるヒーローの自己回復。
あらゆる必要不可欠な要素が重なって『ジェニイの肖像』(47)や『駅馬車』(39)や『拳銃王』(50)がそうであるように、アメリカ映画らしい語り口が研ぎ澄まされたひとつの究極形が実現されている。こんなものをデビュー2作目で撮ってしまうとは、何という監督だろう。

しかし「完全すぎる」という感じはしない。なぜならすでにロッセンらしい得体の知れない翳りのようなものが、そこかしこに感じられるからだ。
例えば主人公の旧友、ショーティが襲われるシーンの演出は無駄のない、切れ味の鋭いものだが、その直後に襲った相手を殴り続ける主人公の影の中の苦悶の表情は、シーンに必要な意味以上の感情的な何かを訴えかける。
そのときの主人公の拳は正義ではなく、傷ついた獣の叫びであった。

この映画はロッセンの赤狩りでの悲劇的な "裏切り"(※注2)よりずっと前のものだが、彼は既に傷つくことに敏感だった。肉体的にも、精神的にも。傷つき、歪むことから人間は逃れられない。
だからこそヒーローの自己回復は祈りのように描かれる。それは暴力の真っ直中での祈りなのだ。そのとき、ロッセンはどのように魂(Soul)を映像化しようとしたか。主人公がある決意をする1カット-たった1カットを、見逃さないで欲しい。正に胸を掴まれる瞬間だ。
「誰でも死ぬさ」-重要なこのセリフは、逆に「誰もが生きる」という意味でもある。そしてジョン・ガーフィールド演じる主人公チャーリーは、最後の最後になって、見事に生きた。『ボディ・アンド・ソウル』は、人が見事に生きるのを目撃する映画である。

注1:執筆時は幸いレンタルDVDで単品の取扱いもあったが、ブログ転載時(2023年 2月26日)に最も観る機会を得やすいのは、コスミック出版の廉価ボックス・セット『ボクシング映画 コレクション リングに賭けろ』購入を通じてではないかと思う。

注2:若い頃に共産党員だったロッセンは、赤狩り時、いちどは非米活動委員会での証言を拒否しながらも、最終的には圧力に屈し、かつての仲間の名前を明かすに至った。その後、長年のアルコール依存症に悩まされ、57歳で冠動脈閉塞で死去した。