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アイダ・ルピノ監督作『強く、速く、美しい』(1951)『二重結婚者』(53)『青春がいっぱい』(66)

書き下ろしです。

シネマヴェーラ渋谷で開催中のアイダ・ルピノ・レトロスペクティブ「カメラの両側で…」で未見だった3本の監督作を観て、この麗しい女優が凄い監督だという確信を、ますます深めた。
ということで本記事は、2023年7月4日の "アイダ・ルピノ監督作『恐れずに』(1950)『暴行』(50)『ヒッチハイカー』(53)" の続編である。

ここでまず、ルピノの決して多くはない監督としてクレジットされた劇場用映画を、アメリカ本国での公開年月とともに列記してみよう。

恐れずに』(1950年1月)
暴行』(1950年9月)
強く、速く、美しい』(1951年5月)
ヒッチハイカー』(1953年3月)
二重結婚者』(1953年11月)
青春がいっぱい』(1966年3月)

上記の他に、急病のエルマー・クリフトン監督に代わりノン・クレジットで初監督した『望まれざる者』(49)、ニコラス・レイ監督作だが部分的に監督した『危険な場所で』(51)があり、両作とも今回の特集で上映されている。また、『サンセット77』『ヒッチコック劇場』『逃亡者』『トワイライト・ゾーン』等々、かなりの数のテレビドラマの監督作があり、職人としての手腕が信頼されていたことがうかがえる。

「私は女優としては安上がりのベティ・デイヴィスだったけど、監督としては安上がりのドン・シーゲルだったわね」

この言葉はまあ自嘲ではあるのだが、一方でルピノの監督としての特徴をも捉えている。
実際、シーゲルを思わせるような要素はあり、それは単に題材としてのサスペンス演出が得意というだけでなく、人物間の緊張関係を素早い手つきで画面に収め、さりげなく次なる劇的展開への予感を感じさせ続けるような、言わば「あらゆる瞬間が活劇」といった映画作りにある。
その上で社会問題への関心の高さが作品に力感をもたらし、また嫌味にならない才気はしばしば描写の新鮮さとして結実しているのだ。

今回観たうち最も年代が早い『強く、速く、美しい』(別題『砂に咲くバラ』)は、テニスの天才少女が野心家の母親の意図に乗せられてスター街道を駆け上っていく話で、金に汚れたアマチュア・スポーツ界の問題を扱っている。

クレア・トレヴァーの演じる母、ミリーの人物像が強烈で、彼女を中心に人々の関係が軋んでいくのが、テニスという対決のドラマとシンクロして映画に血を通わせる。そしてテニスの試合がネットで左右対称に仕切るように、ミリーと夫の寝床は奇妙な対称構図で捉えられ、娘とは柱を隔てた構図から衝突のドラマに展開する。
やがてミリーは次々と周囲の人間に見放されていくのだが、中でも病床の夫が-死にゆく者の特権であるかのように-断罪の言葉を連ねて徹底的に突き放すところは強烈だ。
娘役は『望まれざる者』『恐れずに』でもルピノと組んだサリー・フォレストで、ドラマ部分だけでなくテニスでも大健闘している。

『二重結婚者』はタイトル通り、本妻がいながら出張先で新たな女性と結婚してしまった男を巡る物語。本妻イヴをジョーン・フォンテイン、新たな妻フィリスをルピノ自身、二人に引き裂かれる男ハリーをエドモンド・オブライエンが演じる。
ちなみにルピノの仕事上のパートナーであり本作でも脚本と制作を担当したコリアー・ヤングは、ルピノと51年に離婚したばかりで本作撮影時にはフォンテインと結婚していた。

まず始まってしばらくは養子斡旋業の男によるハリーの身辺調査を探偵もの風に描き、第二の結婚生活という真相にたどり着いてからは、ハリーが男に語るフィリスとの出会いから今に至るまでの回想談となる。この構成が実に巧みで、ヤングの名脚本と言えよう。
ピノ演出もそれまでの作品よりも一段と磨きがかかった印象で、ハリーとフィリスのバスでの出会いは名シーンと言っていいし(役者アイダ・ルピノの美しさ!)、フィリスのアパートの階段の使い方も良くて、登っていく彼女と下のハリーがなかなか手を離せないところなど実に巧い。
やがてハリーは自らの罪を警察に自供し、本妻イヴのもとを去るのだが、そのシーンの扉(部屋の扉とエレベーターの扉)と窓、そして電話が、フォンテインの大熱演の中でドラマチックに機能するのなど、鳥肌が立ってしまう。電話から漏れる重婚の事実を伝える声が映画音楽(つまり本作の劇伴)にかき消されるのも凄い(※注)。
続く最後の法廷シーンとその幕切れも、役者で見せる映画として見事。

その後、ルピノ監督作はテレビドラマばかりになり、10年以上を経てやっと撮ったのが『青春がいっぱい』。そして結局、劇映画としては最後の監督作となった。
それまでシリアス色の強かったルピノ監督作だが、これはタイトルからもうかがえるように明るいコメディで、軽い注文仕事のようにも思えるし、本人もそのつもりで取り組んだのかも知れない。
しかしこれが本当に傑作で、個人的におススメするならこの1本と言えるぐらいなのだ。

内容は尼僧院の全寮制の女子校にやってきた女の子たちの卒業するまでの日々を描いたもの。主にいたずら好きの問題児のメアリー(ヘイリー・ミルズ)と美人だがちょっと抜けたレイチェル(ジューン・ハーディング)のコンビが中心となる。彼女たちを厳しくしつける院長がロザリンド・ラッセルで、本当にいい。
この3人に立場と年齢を超えた友情めいたものが感じられてくるのに、社会派監督だったルピノヒューマニズムが濃厚に感じられる。

アニメーションの愉快なクレジット・タイトルから数シーンあって、レイチェルたちがバスで学校にやってきて車窓から寂れた景色を見て不安がるところに、どことなく西部劇的な呼吸を感じる。
そういえばルピノは『ヒッチハイカー』でも大いに西部劇らしさを感じさせた。さすればこの題材を、女たちの騎兵隊駐屯地もののようにも感じながら撮ったのかも知れない。

本題に入ってからの学校の日々では、省略を利かしながらシャキシャキとつないでいってるので、あれもう1日経ったの?もう半年?…と戸惑ってしまうのだが、そんな中で女の子たちがイキイキとし続けてるので、浮世離れた映画の世界の日々として、気持ちよく受け入れられてしまう。
そして観終えたあとは、ひとつひとつのシーンを幸せな思い出のように愛することができるのだ。

そんな中でも、院長が窓からレイチェルのおじの愛人を見て、無言のうちにレイチェルの不幸さを感じ、見捨ててはならぬと決意するところなどは、深みを感じさせる演出といえる。
そしてラストにはみごとな駅の別れのシーンが用意されているが、詳細は書くまい。ただ、見逃さないで欲しいのは、物言わぬ他人たる車掌の使い方の巧みさだ。

ピノ監督作としては珍しいカラー作品だが、ライオネル・リンドンの撮影が美しい。実力の割にあまりにも監督作の少ないルピノではあるが、これを撮ってくれて本当に良かった。

注:音楽といえば、『二重結婚者』には素晴らしいジャズ系シンガーソングライターのマット・デニスが登場して、自作曲 "It Wasn't The Stars That Thrilled Me" を披露してくれるという嬉しい御馳走がある。