鑑賞録やその他の記事

『ハスラー』(1961)を映画館で観る

書き下ろしです。

ハスラー』が映画館にかかるとなれば、観ぬわけにはいくまい。テアトル・クラシックスポール・ニューマン特集での番組だが、自分には何といってもロバート・ロッセン監督作品というのが大きい。まだ助監督だった頃の青山真治と話していたときに、大好きな監督として名を挙げたら、「僕が言いたかったのに!」と返された。

ポール・ニューマン扮するエディは、凄腕のハスラー(賭けビリヤードプレイヤー)。旅を続けて腕を磨き、伝説の名手ミネソタ・ファッツに戦いを挑む。序盤はエディの優勢に見えたが勝負が長引く中、酒を飲み続けたこともあり、完敗。失意のどん底で女子大生サラと出会い、同棲を始める。そんな彼に裏社会の顔役で賭博師のバートが、マネージャーになってやろうと近寄ってくるのだが…。

犯罪映画めいた翳りの中に、悪の誘惑に引き込まれる男の罪と弱さを容赦なく描き出し、痛ましいブルースのように深く印象付けるのは、『ジョニー・オクロック』(47)『ボディ・アンド・ソウル』(47)『オール・ザ・キングスメン』(49)のロッセンならでは。
加えて本作は、ビリヤードという粋な競技とジャズ、そしてポール・ニューマンのルックスゆえに極めてスタイリッシュな仕上がりとなっており、ぶっちゃけ、シビれるぐらいカッコイイ。タイトル前のシーンで、ビリヤード台の上の球に顔をくっつけるように見るエディの横顔アップから、カメラが一気にトラックバックハスラーとしての牙をむく一発を打つや音楽が鳴り響くのは、「うおお!」と叫びたくなるほどのキマリ具合だ。

男のドラマとしてこれまでのロッセン映画の系譜にあるのは先に書いた通りだが、精神を軽く病んでいるように思えるサラの人物像は、3年後のロッセン最後の監督作にして悪夢的名作『リリス』(64)を予告している。エディが長年の相棒と喧嘩し、決定的な別れの言葉を言い放つところで、そばにいたサラが涙するカットの鮮烈さ。この1カットで、いきなり彼女は生身の人間というより「傷ついた魂」そのものに見えてくる。
その後にバートが並外れた「悪」そのものとして描かれることで、本作はリアリズムを超えた象徴的な神話劇のような様相を帯びてくる。悪しきものと犠牲者の寓話の人物であるエディ、サラ、バートは、我々の中に…いや、ひょっとしたらあなたひとりの中にいる。サラを演じるのは後の『キャリー』(76)の母親役でも有名なパイパー・ローリー、バートはジョージ・C・スコット。それぞれみごとな名演で、ニューマンおよびミネソタ・ファッツ役のジャッキー・グリーソンとともに、揃ってその年のアカデミー賞にノミネートされている。

本作はシネマスコープだが、これはビリヤードを効果的に描く目的で選ばれたのではないか。台の高さよりやや上にカメラを据え、動き回るプレイヤーを見上げるように追うのが、スマートさと臨場感を感じさせる。
また、誰かの視点で誰かを見つける場面などは、横長の画面に引き気味で他の人物と一緒に捉えることで、観客もまたほんの一瞬「探して、見つける」。それによって映画の「語り」に同化する絶妙な感じは、今回映画館で観て充分に味わうことができた。
そのように考え抜かれたひとつひとつのカットは、ロッセンと本作でアカデミー撮影賞を得た名カメラマン、ユージン・シュフタンの共同作業の精華である。

ちなみに IMDb の Trivia には、本作にロッセンの自伝的な要素があるとの説が書かれていた。1940年代後半に始まるハリウッドの大規模な思想弾圧-いわゆる「赤狩り」において、もと共産党員だったロッセンは非米活動委員会の公聴会に呼ばれる。1951年には党員仲間の名を証言することを断固拒否したのだったが、そのためにブラックリストに載せられて職を奪われてしまう。苦悩の末、53年に再び呼ばれたときには、名前を列挙する。仲間を裏切ってしまったのだ(※注)。この経験が、バートの悪に染まってサラを裏切るエディの行動に反映されている…というわけだ。
しかしそれならば公聴会に呼ばれるより前の47年作『ボディ・アンド・ソウル』の主人公の方が、より露骨に悪の道に染まって仲間を裏切るのだし。二度目の公聴会後のロッセンの心情的な苦悩ならば、『コルドラへの道』(59)の主人公の方がはっきりと反映されているように思う。『ハスラー』が特に自伝的とは思えない。
もし本作にロッセンの分身的人物を見出すならば、それはエディではなくミネソタ・ファッツではないだろうか。エディ対ファッツの最後の勝負が終わった後、バートはエディに金を払えと脅すが、エディは信念を持って拒否する。このとき「払えよ」と言ってしまうファッツの姿にこそ、ロッセン自身が反映されている気がしてならない。ロッセンの写真を見れば、外見的にも、最もファッツに似ているように思える。

注:この「裏切り」でロッセンは映画界に復帰するも、しばらくはヨーロッパで活動。本作で再評価されるも、酒が身体を蝕み、病気が重なって、1966年に57歳で亡くなってしまう。