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芸能の真髄『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943)

書き下ろしです。

ヴィンセント・ミネリの公式な監督デビュー作(※注1)『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943)を観る。ブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化で、アメリカ南部を舞台に登場人物は全員黒人という趣向だ。

お人好しのリトル・ジョーは、しっかり者の妻ペチュニアの支えがあるにも拘らず、悪い仲間に引き込まれてギャンブル三昧の日々。改心しようと教会に行ったのに仲間に呼び出されてイカサマ勝負に手を出した挙句、撃たれてしまう。息を引き取り、悪魔の使いが地獄に呼びに来たところで神の使いも現れ、どちらの世界に行くかで揉める。結局、生き返って6ヶ月の猶予期間を与えられ、その間の生き方で決まることに。悪魔の手下はジョーを堕落させようと競馬で大当たりさせ、大金を掴ませる…。

主人公夫婦のタイプやオチなど、ものすごく落語っぽくて、すんなりと話に乗っていける。
ミネリの演出も堂に入ったもので、悪魔の使いが最初に現れるときのランプと影の演出、猶予期間中のジョーを巡って悪魔および神の使いがいさかい合う面白さ、クライマックスの大竜巻(※注2)で悲劇的な銃撃の直後に天井が崩れるドラマチックさなど、確かなうまさを感じさせる。前回取り上げた『二日間の出会い』(45)ほどの冴えはないにしても、職人監督としてかなり信頼できる腕を見せたと言っていいだろう。

しかしやはり本作の見ものは、往年の黒人エンタティナーたちの宝のような芸の数々だ。
まずペチュニア役は、舞台版と同じエセル・ウォーターズ。デビュー時のスリムさからややふっくらし始めてきて、油の乗った歌声を聴かせる。
悪魔側の娼婦役がリナ・ホーンで、初期黒人女性ポピュラー・ヴォーカルの最高峰の共演というわけだ。ちなみにふたりとも-本作では歌われないが-名曲『ストーミー・ウェザー』に縁が深い。エセルは1933年に初録音し、リナはその10年後に同名映画で歌った。
もうひとりの主役、リトル・ジョー役のエディ・"ロチェスター"・アンダーソンは、ラジオで全米的な人気を博したコメディアン。音楽的な功績に特筆すべきものはないが、美声じゃない歌に味がある。歌手ではなく、芸人の歌の良さ。
歌手でいうと、神の使いを演じたケネス・スペンサーはクラシックの声楽で鍛えた名歌手。本作でも二役の牧師で、クワイア(合唱隊)と共にみごとにゴスペルを歌いあげてみせる。後年ドイツに移住し、各国の民謡を原語で歌うなど多彩な活躍をみせた。
ジョーを銃撃するギャンブラー、ドミノ・ジョンソン役のジョン・バブルスは、リズム・タップの父と呼ばれた伝説的ダンサー。フレッド・アステアのタップの先生でもある。彼が戦前の有名曲『シャイン』を歌い踊るシーンは、実に華がある(※注3)。
ダンサーといえば、本作オリジナルの名曲『恋のチャンスを』をエセルが歌うシーンで踊るビル・ベイリーも名手で、後にマイケル・ジャックソンのトレードマークとなる "ムーンウォーク" の初期型を見せてくれる。また、このシーンでアンダーソンが見せるすり足ダンスは、ジェームス・ブラウンっぽい。マイケルにせよJBにせよ、そのスタイルはひとりで生んだものではなく、黒人エンタテインメントの伝統の上にあるのだ。
そして大物中の大物が、デューク・エリントン。オーケストラを率いて十八番の『昔はよかったね』のテーマを響かせてから『ゴーイング・アップ』に繋いでいく。映像はオーケストラよりダンサーたち中心だが、エリントンで黒人たちが踊るというのは、それはそれでグッと来る。
もうひとりの超大物、サッチモことルイ・アームストロングも悪魔の使いの手下で出ているが、セリフ劇の最中にちょっとトランペットを吹くだけ。フィーチャーされたナンバーはカットされてしまったそうだ(※注4)。

というわけで、溢れるエンタテインメント精神とバイタリティに圧倒され、幸せな気分になる一本。天国を暗示する題名ながらもここにあるのは生きる大切さで、物語的にも-他愛ないながら-それに相応しいエンディングが用意されている。
こんな映画を楽しめる精神を持った上で、暴力や不正や悪にも怒ろうじゃないですか。あけましておめでとうございます。

注1:本作以前に1941年の "Panama Hattie" を部分的に監督しているが、クレジットされてない。

注2:竜巻のシーンには『オズの魔法使』(39)のために作られた映像が使われてるとのこと。

注3:このシーンはバズビー・バークレーが演出しているとの記載が、英語版 Wikpedia(と、恐らくそれをベースにしてる日本語版)にある。

注4:とはいえサッチモがちょこっと吹くのは、とてもカッコイイ。また、カットされた "Ain't It The Truth" は、サウンドトラック盤では聴くことができる。