書き下ろしです。
シネマヴェーラ渋谷で『二日間の出会い』(1945)。
ジュディ・ガーランドが歌わない映画で、監督はこの年、ジュディと結婚することになるヴィンセント・ミネリ。
実は自分、ミネリの有名作は『巴里のアメリカ人』(51)も『バンド・ワゴン』(53)も世間でいわれるほど評価しないのだが。正直、これは参った。ノッてるときのミネリの力量をとことん、思い知らされた。
ストーリーは、ロバート・ウォーカー扮する田舎者の兵士が休暇でニューヨークを訪れ、OLのジュディと出会って、タイトル通り二日の間に熱烈な恋に陥るというもの。
こうした "兵士の休暇もの" は往年のアメリカ映画によくあり、『青空に踊る』(43)『踊る大紐育』(49) 『よろめき休暇』(57)などが思い浮かぶ。ひとつのパターンと言えるもので、その意味で斬新さはない。主なストーリーも、いま書いたことで言い切っている。
だが、ありがちでシンプルな物語を語り切るのに、作り手の才能と精力を尽くしたときのハリウッド黄金時代の映画がどんなに凄いか。
本作はひとつの見本となるものだ。シンプルだからこそ凄い、美しい-と思い知らされるのは、映画の根源的な魅力に引き込まれてしまう奇跡のような体験なのだ
二日間の出来事を面白く見せるには、主人公たちにどのような人物を絡ませ、どのように展開すればいいのか。これにふたりの脚本家、ジョセフ・シュランクとロバート・ネイサンは知恵を注いだ。
シュランクはブロードウェイの劇作家出身で、ミネリとは監督デビュー作でも付き合っている。そしてネイサンは『ジェニーの肖像』などで知られる有名な小説家。そのへんの人間が頭を絞るのとは、最初っから違うのだ。
主人公たちの間でいよいよロマンチックなムードが高まるのは、夜の都市公園の緑の中。ロバートは、ここは自分の田舎のようだと言う。ジュディは、そんなことはない、耳をすませば(都会らしく)いろんな音が聞こえると言う。ここから無言の芝居。たしかに聞こえる、街の音-だが、次第にふたりには、ロマンチックなメロディが響いてくる。街の効果音が、美しい映画音楽に取って代わる。見つめ合い、初めてのキスをする。いけないわ、帰ります-と、ジュディ。ではふたりでバス停まで。行ってみれば、何ということだ、終バスは行った後。そこにコトコト馬車のようにやってくる小さな、変わった形の運送自動車。ハンドルを握る人の良さそうなオジサン(ジェームズ・グリーソン)が、乗せてくれる。オジサンは牛乳配達夫。これからひと仕事終えたら、家まで送ってあげる。倉庫で牛乳を積む。出発進行、すぐにパンク。スペアタイヤはないが、カー・サーヴィスに連絡して換えてもらう-と、のんびりしたもの。その間、深夜営業のカフェで過ごしてると、タチの悪い酔っ払いが絡んでくる。なんやかんやで配達夫のオジサン、ひっくり返って怪我をする。タイヤ交換は完了。でもオジサン、車に運んでもまだまだ気分が悪そう。それじゃ仕方ない-と、ジュディとロバートは、ふたりで朝まで懸命に牛乳配達をするのだ!
凄くないですか?
みごとに状況が進んで、ふたりの忘れがたき夜の体験が、牛乳配達! 深夜作業の労務者がトラックの上から、OLと兵士が牛乳の入ったカゴをさげてビルに入って行くのを珍しそうに見るカットのユーモア!
しかもその後、配達夫の家で幸せな初老夫婦の人生哲学に触れ、いよいよこの短い期間で結ばれる決意を固めるのだから、完璧な展開ですよ。
ミネリの演出はいま書いた流れの中でも、キスをするときのたっぷりとした切り返し、カフェのシーンの長回しなど、技術を尽くしながらも自然なタッチで凄いんだけど。
そもそもファースト・シーンの駅の人混みから次第にロバートに焦点を当てるのや、エスカレーター降り口でのジュディとの出会いからして、魔術的なみごとさで引きずり込まれてしまう。
後半も凄い展開・演出があるのだが、具体的に書くのはこのあたりまでにしておこう。
映画全体を通してやはり強調しておきたいのは、ジュディの素晴らしさ。ただ可愛いだけではなく、ちょっとキョドってる自信なさげなOLにも見えるからこそ、性急な恋の物語を成立させるリアリティがある。変な子が決意したときには、強いのだ。