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『ケイコ 目を澄ませて』(2022)

書き下ろしです。

三宅唱監督の新作『ケイコ 目を澄ませて』(22)を観る。

実在の聴覚障害の女性ボクサー小笠原恵子の著書『負けないで!』を原案に、同様の設定の "ケイコ" を映画の主人公として創出。家族やボクシング・ジムの人物たちに囲まれて、迷い苦しみながらも生き続ける姿を、16ミリフィルムの陰影深い映像に焼きつけていく。
映画は始まってすぐ、ケイコの部屋の短い描写を経て、ジムの場面となるのだが。全体の様子が分かるフルショットから入らず、縄跳びの足元、きしむトレーニング器具など、部分的なアップを2~3、重ねる入り方をする。ちょっと凝ったのかな、これが監督のボクシング・ジムの印象なのかな…と思ってると、ケイコがロッカールームで着替えるシーンになり、聴覚障害であることが字幕であっさり説明される(ちなみにここまでの短い間に二回、鏡が印象的に使われるのが興味深い)。
さてトレーニング開始。コーチの指導で、コンビネーション・ミット(コーチの両手のミットにいろんなパターンで連打をすること…らしい)を始める。パンパンパン!…というリズムが心地よい。パターンを変えると、リズムも変わる。まるで音楽だ。ここで俺は気づかされた。耳の聞こえないケイコは、この音楽を身体で聴いている! だとしたら、先の部分的なアップを重ねる入り方も納得がいく。縄跳びのステップも、器具のきしみも、ケイコは身体で聴いていたのだ。
パンチングの響きは音楽、動きは舞踏として、映画は「耳の聞こえない主人公の音楽劇」という画期的なかたちを示し続ける。ジムでの動きは多くの場合ふたり以上で演じられ、さらには演じるふたりに触発された別のふたりが演じ始めるミュージカル的な展開まである。そしてケイコの日記がジムのオーナーの奥さんに読み上げられるとき、その声自体が音楽的な盛り上がりをもたらし、声をバックにカットバックする日々の中に耳の聞こえないケイコが楽しげに-言葉の本来の意味での-舞踏を真似るところまで描かれるのだから心憎い。
一方で映画はケイコ自身の "生きづらさ" も声高にならず、ドキュメンタリー的とも感じられる観察するようなタッチで、注意深く描き重ねていく。決して思い通りにならない日々、それどころか自分の思いを定め切れないもどかしさ。暗い気持ちが重なる果てに激情が噴出する試合シーンは、痛々しい一方、まだまだ若いケイコの肉体の詩でもある。対して、病に冒されたジムのオーナーが-ジムもろとも-滅びへの道を進むコントラスト。これがあってこそ、深みのある大人の映画にもなっている。
ケイコ演じるのは岸井ゆきの。『愛がなんだ』(18)での演技が高く評価されたが、本作はさらに表現に厚みを感じさせる。最後の方にちょっと長い表情芝居があるのだが、これが作ったような感じにならないのは、役柄を素直に生ききってるからだろう。また、こうした表情芝居は、そこに至るまでの充分な積み重ねがあってこそ生きるので、その意味では三宅監督にしっかりと引き出してもらって良かったね-と思う。「上手な役者さんだから顔で語らせよう」というのを、もっと安直にやっちゃう監督もいるよね。
ジムのオーナーは三浦友和。若き日には西河克己監督の薫陶を受けたスターが長じて、輪郭のはっきりした芝居らしい芝居で味わいを出し、若手に対する自分の役割を存分にやりきって見せるのは嬉しい。仙道敦子との夫婦ぶりも良い。
あと、コーチ役の三浦誠己が素晴らしかった。岸井、三浦友和はほっといてもみんな褒めるだろうから、個人的にはこのひとを推したい(なんて、気張って書いてると、案外「みんな褒めてるよ」って言われちゃうものですけどね)。
撮照はもちろんいいが、美術にも感銘を受けた。狭いけどぎりぎりジムとして機能してる空間-というのを、よく作り上げたなあ…と思う。室内シーンも、ロケーションも、同等の充実感が感じられた。
素晴らしい映画である。いろんな場面で「なるほど!」と思わせられた。しかし一方で、この監督なら「なるほど」どころじゃない「ええ! こうなるのお!」にも踏み込んでくれるような期待もある。気が付いたら、とんでもないところで感動させられてしまったような。本作は褒め称えつつ、次回作以降には、また新たなる予測不能の感動を期待したい。それぐらいの期待を抱かせる立派な映画だから。