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『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を三度観る

書き下ろしです。

ふと思い立って、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の映画版を3ヴァージョン、観てみた。
原作はジェームズ・M・ケインが1934年に発表した犯罪小説の古典で、俺も学生の頃に読んだ。田舎町の車道沿いの食堂に雇われた流れ者が店主の若妻とねんごろになり、共謀して店主を殺害。一度は告発されるのだが…というもの。三面記事的なよくある話に思えつつも、非情なタッチと生々しい人物描写、皮肉な展開が強い印象を残す。カミュ『異邦人』に影響を与えたという説は有名だ。
何度も映画化されており、今回観たのはいずれも日本でDVDが入手できる有名作だが、フランス版やハンガリー版もあるという。日本版は聞いたことないが、ピンク映画やVシネマの題材になってそうな気がする。

まずは本国アメリカでの最初の映画化である1946年のテイ・ガーネット監督版。流れ者をジョン・ガーフィールド、若妻をラナ・ターナーが演じる。
このラナ・ターナーが登場するときから「ジャーン!」って感じで、絵に描いたようなお色気満点のピンナップ・ガール。「こんなん、田舎の食堂にいないでしょ!」とツッコミつつ、「いや、そこは映画だし!」と、割り切って観るものになっている。
本当はもっと薄汚いはずの屋内もいかにもセットで、白黒画面も割と明るい。通常の意味のリアリティは薄く、いかにも昔のハリウッド製のプログラム・ピクチャーという感じだが。そういう映画の「味」が好きであれば、原作通り流れ者のモノローグで進む語り口はキビキビしているし、スターを観る眼福に浸りながら物語を追う快感を得ることはできる。
流れ者がガーフィールドというのはさぞや良かろうと思ったが、これが意外とそうでもない。翌年の傑作『ボディ・アンド・ソウル』のボクサー役での翳りや暴力性が見られないのは、少しばかり残念だ。ただしエンディングは、このひとの役者としての持ち味で見せているとは思う。

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次に少し遡って1942年のルキノ・ヴィスコンティ監督版。この巨匠の長編デビュー作で、舞台はイタリアに移されている。後年の貴族趣味は全く無く、イタリアン・ネオレアリズモの先駆的作品とされる。
流れ者にマッシモ・ジロッティ、若妻にクララ・カラマイというのは地味な配役で(当初、若妻役はアンナ・マニャーニだったそうだがまだスターだったわけではない)、いかにも実在してそうな感じがする。ロケーション中心の埃っぽい描写といい、漂う情愛の雰囲気の粘っこさといい、いろんな意味でガーネット監督版とは対照的だ。
しかしまあ、さすがはヴィスコンティで、冒頭の流れ者が食堂に入っていくまでの巧みな見せ方から、たちまち引き込まれてしまう。若妻と出会ってからもふたりの情熱に迫るように動くカメラワークは、才気と熱気を兼ね備えた演出芸。田舎道、走る列車の中、野外の祭り、パブ等々、シーンごとに場所の雰囲気も伝わり、さりげない描写の厚みということでは、今回の3作の中でピカイチと言えるかも。個人的には得意な監督ではなかったが、こうして比べるとやはり凄い。途中で流れ者が出会う啖呵売の青年にホモセクシュアルの匂いがするのも、興味深い。
ただ、これだけ見応えのある映画でありながら決定的に物足りないのは、肝心の殺しのシーンが省略されてしまってることだ。制作当時の検閲ゆえかと想像するが、非常に残念である。

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3本目は、1981年のボブ・ラフェルソン監督版。流れ者はジャック・ニコルソン、若妻はジェシカ・ラング。他2作と比べグッと新しく(といっても40年前だが!)、ベルイマン監督作品で知られるスヴェン・ニクヴィストのカメラが冴えるカラー作品だ。
このヴァージョンの第一の特徴は、セックスをきっちり描いていることだろう。アメリカ映画の描写の規制が緩くなった時代に、この原作を映画化する上での監督の大きな狙いであったことは間違いない。主演のふたりもよく応えており、文字通り体当たりの熱演を見せる。
また暴力描写もなかなかのもので、殺しのシーンも悪くないが、後半で恐喝に来た男を叩きのめすのが迫力満点だ。性にも暴力にも、ニコルソンの危ない個性が生きる。ちょっとした会話のシーンでも、流れ者と店主が話す奥に若妻が立っているところなど、緊張感があっていい。
そして本作で最も見るべきは、ジェシカ・ラングだろう。ラナ・ターナーがそうであったようにハリウッド美人ではあるのだが、あそこまで非リアルではなく、魅力を充分に見せつつも、説得力のある "田舎の若妻" 像を作ろうとしている。生活にくたびれ、性を持て余し、そして-ここが最も良いのだが-どこか少女っぽいのだ。人間としての未熟さが性愛を介して悪徳と結びつき、なんとも言えぬ魅惑を醸し出す。流れ者が店主を撲殺した直後に「死んだ? ねえ、死んだ?」と訊くところなども実に良く、3作の若妻役の中では、個人的にベストに推したい。
本作の大きな疑問はラストシーンだ。どうして原作や他の2作に-それぞれに形を変えて-あったような皮肉を見せなかったのだろう。詳しい説明は避けるが、これではただ「アンハッピーエンドにしました」だけに感じられてしまい、唐突だし薄味だ。作り手側には理由があるのだろうが、個人的には納得できなかった。

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以上、3本とも観てよかったと思える仕上がりであった。それぞれに工夫も魅力もあり、また物足りぬ点もある。今後また誰かが映画化したら、観てみたいものだし。もし自分ならどうするか想像するのも、愉しい。

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郵便配達は二度ベルを鳴らす(吹替版)

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郵便配達は二度ベルを鳴らす(字幕版)