Facebook に 2013/ 1/10 に投稿した記事に手を加えたものです。
映画のモンタージュの勉強をするのに、既存の映画から絵コンテを起こしてみるってのもそりゃ勉強になりますよ。でも、例えばこんなのはどうでしょう?
既存の映画のカット割を、小説の文章に置き換えてみる。
例えばイーストウッドの『トゥルー・クライム』(1999)。女性記者が交通事故に遭う長い台詞無しのシーンは、実に1カット1カットが、彼女の一人称の小説の文体に置き換えられるのです。実際に観ながら、"キスの名残が残ってる…" "雨が降ってきたわ…" 等々、場面が示すひとつひとつを言葉にしていけば、言ってる意味はわかるでしょう。
あるいは澤井信一郎監督『仔犬ダンの物語』(2002)の冒頭などは、三人称の小説の出だしに容易に変換できます。ヒチコックの映画などでも、良い例が見つかりそうです。
もちろん小説と映画は違いますし。映画は小説より音楽に近いという三島由紀夫の意見には賛成です。だけど言葉に置き換えることで、必ず見えてくるものがあるハズ。
例えばそのシーンが、誰の視点に立って演出されているかとか、そのシーンは観客にどういう情報を伝えたかったかとか。
監督の頭の中に迫るには、言葉にすることは大事なんですよ。
逆に、小説の一節をカット割に置き換える作業も面白いかも知れない。
その際、どこが無駄でどこが足りないかも見えるかも知れない。映画と小説の文法の違いも見えるかも知れない。
とにかく基本姿勢として「映画と小説なんて違って当たり前」ということを踏まえておけば、逆に無理矢理の試みも意義深いものになるんじゃないでしょうか。