鑑賞録やその他の記事

「そのとき」

Facebook に 2013/ 1/14 に投稿した記事に手を加えたものです。

ゴダールのマリア』(84)が公開された頃、脚本家・監督の高橋洋
「『そのとき』って字幕が頻繁に出るんだって? 面白いこと考えるねえ!」
と感嘆していたのは、彼がエイゼンシュテイン好きであることを考えると当然で。まあ映画史に疎い俺でも「そのとき」と聞けば『戦艦ポチョムキン』(25)のオデッサの階段を思い出すわけです。
「そのとき」-この短い言葉の方が、例えば「事件は現場で起こっている」なんかよりもずっと強烈なわけですよ。

そう言えばこないだ、とあるベテランのムービーカメラマンさんと話したとき、聞いた話のひとつに、フィルムのカメラマンは撮りながら撮った映像を見ていない…というのがありました。
どういうことかというと、カメラを回している間、フィルムは一コマ一コマ掻き落とされていくのですが。そのたびに露光を遮断するシャッターの前にあるミラーが、ファインダーに画面を送るのです。だからまあ、ファインダーで見ている画面もチカチカするわけですけど。カメラマンは、1/24秒の、フィルムには写らない "合間の" 画面を見ているというんですねえ。
例えば、弾着のシーンなんかは血が噴き出した瞬間が見えてない方が「うまく撮れた!」と思うんですって。

撮っている人間にさえ見ることを許さない、そんなメディアだからして。いきおい、観客にとっても見ることは戦いになるんですよ。大袈裟に言うと。
見たかも知れない、見失ったかも知れない映像に追いつこうとするたびに、もうそれは失われている。その一瞬一瞬にいちばん相応しい言葉は、やっぱり…「そのとき」なんです。