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ウルマーの黒人映画『ハーレムにかかる月』(1939)

Facebook の 2019/5/11 の投稿に手を加えたものです。

エドガー・G・ウルマー DVD-BOX」収録の一本、『ハーレムにかかる月』(39)を鑑賞。
ハーレムを舞台にした無名の黒人役者たちによるいわゆる "レイス・フィルム"(※注)。資産ある未亡人を篭絡したギャングの男がその娘にも魔手を伸ばす…という話だが、超低予算で4日で撮られたという。
音楽劇の要素もあり、登場人物の数も少なくない映画で、これはかなりの難条件だったろう。

実際、見るからに「もう、こんな撮り方するしかないじゃん!」という感じの、やっつけ的な演出がなされている。
具体的には、セットに横位置(=舞台を観客の目で見る位置)からのカメラを、恐らく移動車に載せて引きで芝居を区切りのいいところまで撮り、適宜、寄ったり、中抜きのアップを重ねたりして「ハイ次!」の積み重ねで作っているようだ。
セット数もめっちゃ限られている上、必要な外景ショットも街のシーンも明らかに足りてない。

だが思えば初期の無声映画もこれに近い感じで撮られていて、何だかその場その場で映画を再創生してるような妙な興奮と、ときおり見せる経験を重ねて身についた職人的な上手さが同居して、とても変わったものを見せられている気になってくる。
編集が荒っぽいというか、ハッキリ言ってヘタなんだけど。そのヘタさも味に思わせてしまうような不思議な落ち着かなさが、観ていて物語を取りこぼすまいと気を急かせる。
そして人物が奥から登場する瞬間すべてに表れるウルマー監督ならではの見事な不吉さと、ヒロインの母の葬式シーンでの突然の演出の充実に戸惑う。

いったいこれは何なんでしょうと、少しばかり呆れながら観終わり、自分の部屋でこの投稿を書いていて、茶の間に戻ると、女房が『ヴェラクルス』(54)を観ていた。物凄く画面が充実していて、お金も時間もかかっていて、必要なカットをいっぱい撮っている。
あれもこれも、同じアメリカ映画なのか。うーむ…。

注:アメリカで1915~50年頃に作られた黒人出演者で占められた黒人観客向けの映画。中には監督もウルマーのような白人ではなく、黒人によるものもあった。『ハーレムにかかる月』のプロデューサー、アルフレッド・N・サックは、このようなレイス・フィルムを数多く手がけたひとで、1941年の『イエスの血』("The Blood of Jesus")は、このジャンルの代表作の一本とされる。YouTube で何人かが全篇を公開しているので、興味のある方はぜひ探してみて欲しい。なお、1970年代のいわゆる "ブラックスプロイテーション" はまた別物なので注意。