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ジョン・フォード『ウィリーが凱旋するとき』(1950)

書き下ろしです。

シネマヴェーラ渋谷で『ウィリーが凱旋するとき』(50)。初見。今回の「蓮實重彦セレクション 二十一世紀のジョン・フォード PartⅢ」で、個人的にミッシー(バーバラ・スタンウィック)主演の『鍬と星(北斗七星)』(36)と並んで観たかったやつ。

ウィリーはアメリカの小さな町に住む好青年。アマチュア・バンドで歌とトロンボーン演奏を楽しみ、隣家には恋人マージが住んでいる。折しも第二次世界大戦が勃発。町で入隊一番乗りの彼は、勇気と愛国心にあふれる若者として大いに讃えられる。だが軍に射撃の腕を買われて、地元の基地で教官の役回りを与えられ、なかなか戦地に赴くことが出来ない。そんな様子を誤解した町の人々には臆病者と見られ、鬱屈した日々を過ごす。やがてついに、病気になった射撃手の穴埋め役として海外へ飛ぶ日がやってきたのだが…。

ユーモラスで皮肉の効いた題材に水を得た魚のようなフォード演出は、人物を気持ちよく動かし、次々と展開するシーンをおもしろおかしく調子よく見せていく。

まず主人公と恋人の隣同士の家の見せ方、中での芝居の組み立て方のみごとなこと! それぞれの玄関から入れば誰が出迎えて、他の誰がどのタイミングで出てきて…というのが絶妙だし。表に出ればドアには木の葉の影模様というのも、ああ映画だなあと心躍る。ウィリーがようやく海外に行けるときに、父・母・恋人が信じようとしない場面は実におかしいし。ラスト近くの帰還をめぐるドタバタも本当にいい。
そうかと思えば人が大勢出てくるシーンの活気も、やっぱりフォード。ミュージカル的展開が楽しい出征パーティもいいけれど、駅での見送り(といっても、その後すぐ地元の基地に配属されるのだが)シーンは、前半最大の見せ場のひとつ。人が溢れ返る中、父母に別れを告げ、次に恋人に向かうと彼女は耐えきれずにくるりと背を向ける。追ってつかまえ、列車の前で思い切り別れを惜しみ、何度もキス。列車が動き出してしまう。それでもキス、キス、キス。そして最後尾の車両が行き過ぎるかという瞬間に、ウィリーは飛び乗るのだ!

これらの町のシークエンス、そして兵隊になってからの日々の様子もいいけれど、ようやく海外行きの戦闘機に乗ってからが、本作の真骨頂。機が大空で霧に包まれるあたりから、全く予想のつかない、ある種のおとぎ話的な世界に突入していく。

遅れて機を脱出したウィリーは、他の乗組員ともはぐれ、見知らぬ土地(どうやらフランスらしい)の迷子に。レジスタンス組織に捕らえられ、ナチス最新兵器の動画フィルムをアメリカに持ち帰るよう依頼される。
この組織のリーダーのイヴォンヌが美女なことや、ロケット兵器のSFみたいな描写が、ますますおとぎ話感を深める。そしてウィリーは、作戦のためにぐでんぐでんに酔っ払う羽目になるのだ。喋れないほど酔うとアメリカ人だとバレないからである!

ウィリーの戦場での戦いは酔って逃げることで、得意の射撃は活かせない。前半の、真っ先に入隊してからずっと足止めを食らうのとあわせて、全く思う通りにいかない。なんとも皮肉な展開だが、その皮肉は戦争風刺というより、人生そのものへの皮肉に思えてくる。大事なのは、映画では、笑い飛ばせる皮肉ということだ。本作では喜劇監督としてのジョン・フォードの力量が、とてもユニークな花を咲かせている。
そうかと思えば、イヴォンヌがウィリーを船に乗せるシーンの唐突な美しさは、どうだろうか。彼女の桟橋に走り出る姿。船を見送るアップ。いきなり『わが谷は緑なりき』(41)『静かなる男』(52)『捜索者』(56)などの問答無用の感動的フォード映画に変貌してしまうのだから、油断はできない。

ウィリー役のダン・デイリーは、歌うシーンからも分かるように、ブロードウェイ出身のミュージカルを得意とした役者さん。『ショウほど素敵な商売はない』(54)『いつも上天気』(55)などに出演。フォード映画では『栄光何するものぞ』(52)にも顔を出している。他には『彼女は二挺拳銃』(50)が有名かな。二枚目だが、ちょっと脇役的なルックスかも。でも、すごく頑張っている。
他には、ウィリーの父役でウィリアム・デマレストが出てるのは押さえておきたい。プレストン・スタージェス監督作品の常連。『レディ・イヴ』(41)の「同じ女だ」のひとですよ。恋人マージの母は、グリフィス映画のリリアン・ギッシュに次ぐヒロインで、おばさんになってからフォード映画によく出てくるメイ・マーシュ。マージはコリーン・タウンゼント、イヴォンヌはコリンヌ・カルヴェ。ふたりともあまり他には印象がないけど、タイプの違う美人で良かった。

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