Facebook に 2012/ 10/ 1 に投稿した記事に手を加えたものです。
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> 夜道を歩いていてふと見上げると、目の前のビルの中に巨大なクモが――そんな恐怖体験ができる映像トリックをドイツの学生が編み出しました。
> このトリックは、容器に入ったクモの映像を全面ガラス窓のビルに投影するというもの。容器とビルの窓の縦横比をちょうど同じにするのがキモで、それにより実際にビルの中に蜘蛛がいるかのように映像を投影できます。ドイツのアートカレッジのFriedrich von Schoorさんがこの手法を使った動画を投稿しています。
(ねとらぼ 2012年09月30日 )
この記事を読んで最初に思い出したのは、イングマル・ベルイマン監督の映画『鏡の中にある如く』(1961)の1シーンです。
ラスト、発狂したヒロインは殺風景な部屋で「蜘蛛が!蜘蛛が!」と叫び、轟音と共に壁に巨大な禍々しい影が映ります。それは彼女を連れ去りに来た精神病院のヘリコプターの影だったのですが。この一見似つかぬものがそれらしく見えてしまったのは、監督の豪腕と言うしかありません。
蜘蛛というのは、人間の手の形に似ています。
少数の例外を除いて人々が蜘蛛に不気味なイメージを抱くのは、それが掴みかかる手を思わせるからではないでしょうか。『鏡の中~』のヒロインも遂に蜘蛛に捕まれ、精神病院送りとなるのです。
また、テレビ『ウルトラQ』(1966)シリーズ中の傑作『クモ男爵』での有名なミスショット-ラストで炎の中に崩れ落ちるクモ屋敷に写り込んだスタッフの手が、何とも禍々しい印象をもたらすのも、巨大蜘蛛と同類に思えるからではないでしょうか。よりによってこのエピソードでこんなミスが起きるなんて…。
そして蜘蛛は、手そのものではないから、手を超えた恐ろしさがある。
形状的にも手としたら絶妙にイビツであるし。糸を吐いて絡み取ろうとする手なんて、想像できません。蜘蛛は理解しがたい「何者か」の「手に似た存在」として、人-もしくは人の運命を、掴み取り、どこかへ連れ去ってしまいそうな気配を漂わせます。
犯罪小説の短編傑作として名高い『オッターモール氏の手』に登場する絞殺魔は、ラストで殺人の動機が自分にも分からないと告白します。それは彼の手が勝手にやったことだと。
オッターモール氏の手は、常人より蜘蛛に似ていたのかも知れませんね。