鑑賞録やその他の記事

浅草に生きていた映画

Facebook に 2012/ 8/ 1 に投稿した記事に手を加えたものです。

浅草六区から映画館がなくなるというニュースが伝えられました。俺は熱心に通ったわけではありませんが。それでも大学生の頃は、何度か足を運んだものです。
六区通りを肉体労働スカウトの声を聞き流して歩き、映画館の一軒に入ると、薄汚れた身なりの男たちがまばらにいます。中にはここで一日中寝ているような人もいるし。音漏れのするイヤホンでラジオの競馬中継を聴いている人もいます。
客同士の喧嘩を目撃したことも一度や二度じゃありません。近くで雰囲気がヤバくなったときは、静かに席を移動します。充分な広さがあるから、どこでも座り放題でした。
でもなぜか、こんなだらしない空間の方が、昨今の入れ替え制のキレイなシネコンなどよりも、映画が生きる場という感じがしてました。
建物の年輪から滲み出る雰囲気だけではありません。そこにいる男たちにとって、映画は特別なレジャーでも何でもなく、生活の一部としてごく当たり前に共有しているものだったのです。
そんな浅草で、もちろん俺は場所に相応しい任侠映画をいくつか観ました。『日本侠客伝』シリーズ(1964~71)に『昭和残侠伝』シリーズ(65~72)。加藤泰監督が松竹で撮った『人生劇場』(72)なども観ました。それらだけではなく、浅草中映などは当時でも珍しい西部劇のかかる貴重な映画館でした。『アウトロー』(76)も『リオ・ブラボー』(59)も『地平線から来た男』(71)も、ここで観ました。
最近は六区に行くこともほとんどなくなりましたが。確かに生きていたはずの何かが消え去り、ノスタルジーになってしまうというのは、切ないことですね。