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漫画・アニメの実写化は日本の伝統

Facebook に 2014/ 6/ 4 に投稿した記事に手を加えたものです。

江戸時代、漫画・アニメの実写化に近い位置にあるものは何だったんでしょうか。俺は人形浄瑠璃を歌舞伎化した、いわゆる「丸本物」がソレに近いと思うんです。
歌舞伎の三大狂言と言われる『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』は全て丸本物ですよね。そこでは、人形浄瑠璃を経由した独特の表現がありました。

仮名手本忠臣蔵』の冒頭なんか、人形が息を吹き込まれて動き出すのを役者がやりますね(余談ですが北野武版の『座頭市』(2003)の冒頭は、これを意識してると思います)。
あと、いわゆる「糸に乗る」という、義太夫節(まあ、バンドと思って下さい)に合わせての芝居。これなんかも、人形の動かし方を前提にしたものですね。
じゃあ、人形がやるのを観れば充分かというと、そういうわけでもないのですね。人形は、「人間がわざわざ人形みたいにやること」による独特の空気感を出せない。

これと同じことが、漫画・アニメの実写化にも言えると思うんですよ。
DEATH NOTE デスノート』(06)で、松山ケンイチが漫画のLを、過剰なメイクと芝居で再現してみせましたよね。でも、「それなら漫画を読めば済むこと」にも「漫画と同じ絵の世界であるアニメでやってくれればいい」にもならないと思うんですよ。
あそこには「生身の人間がわざわざ漫画みたいにやること」の独特の空気感があった。

俳優の芝居に限らずとも、漫画などの表現を「わざわざ」実写でやることによって開かれる新しい世界はあると思いますねえ。
映画『子連れ狼』シリーズ(1972~74)の非現実的な残酷描写は、漫画原作ゆえだし。そこから、「映画はもっと漫画のようであってもいい!」というヒントを得て-『子連れ狼』だけではなく『女囚701号 さそり』(72)『修羅雪姫』(73)みたいな日本の漫画原作実写映画が大好きだった-タランティーノが『キル・ビル』(2003)を作ったりするわけじゃないですか(そういや、ルーシー・リュー演じるオーレン・イシイの生い立ちはアニメでしたよね)。

要は、漫画やアニメの実写化というのは、最初から実写の世界だけで考えていては作り出せない表現の地平に、作り手を導くキッカケになるということですよ。
つまり、文化的な豊かさを得るための手段であって。それを頭から否定するのは、文化の敵だとも思えますよ。
たぶん、江戸時代にも-現代の実写化反対派のように-「ありゃあ、人形がやるからいいんだ、わざわざ歌舞伎にするなんざ興ざめだ」っていう人がいただろうし。そういう人は結果的に表現文化の発展を踏みにじろうとしていたわけですね。

丸本歌舞伎の傑作を文化遺産として確立した日本だもの。
その伝統に沿って、漫画・アニメの実写化で新たな表現地平を拓いて欲しいものです。