書き下ろしです。
フランク・キャプラ監督作品で観た中で最高に好きな『奇蹟の処女』(1931)がスクリーンで観られるので、いそいそと同監督特集中のシネマヴェーラ渋谷へ。もちろん若きミッシーことバーバラ・スタンウィックの魅力を堪能する目的もある(※注1)。
ミッシー演じる主人公フローレンスは、誠実な牧師の父が教会組織に見放されたまま死を迎えたことに憤慨し、会衆の前で怒りの演説をぶつ。その姿にある素質を見出したマネージメント業の男は、彼女を人気伝道師 "シスター・ファロン" に仕立て上げ、インチキな芝居がかった宗教ビジネスで富を得ていく。やがてフローレンスは、若き盲目の退役軍人ジョンと出会い、偽りに満ちた教祖の衣を捨て去ろうとするのだが…。
アメリカで宗教のみならず政治的な影響力も持つ "メガチャーチ"(※注2)の初期の代表的人物エイミー・センプル・マクファーソンの人生にヒントを得ているらしいが、カリスマ化した教祖が動かす宗教と金の問題は現代の日本にも見られるものだ。その意味では決して古びないテーマで、驚きをもって観るひとも多いのではないだろうか。
ミッシーは冒頭の演説からフルスロットルで、燃える目力、全身での芝居に加え、本作では彼女ならではの "声" をたっぷり聞かせてくれる。伝道師としてのショーを始めてからの決まり文句「ハレルヤ!」など、強烈に耳に残る。これは映画館で「聞く」醍醐味でもある。
その上で、彼女の芝居の最大の見せどころを、無言劇で演り切らせるのだから、さすがはキャプラと唸るしかない。ジョンとの別れの日のショーの直前、楽屋でマネージャーがスタッフに発破をかける中、ひとり黙って耐えながらメーキャップをする芝居の凄まじさ!
もちろんこの監督らしい工夫とユーモアはあって、フローレンスがジョンの部屋で暖かなひとときを過ごすときに、ジョンが腹話術で操る人形を使って距離を縮めていくのなど、うまいものだ。こうしたシーンでひとりの "少女" にかえった主人公のアップに踏み込むタイミングもいい。ジョンのアパートの大家さんの活気と善意に満ちた人物像は、キャプラのみならず古くからのアメリカ映画の伝統ともいえる美点だ。
ソフトな部分もたっぷり見せる緩急自在の演出があってこそ、クライマックスの大火事が物凄い盛り上がりを見せるのだ。
他にもフローレンスが最初にマネージャーに口説かれる場面の充実した室内演出や、ドラマチックな雨の夜の出会い(正確には再会)、ジョンの "目の見えるふり作戦" の涙ぐましさなど、見どころの連続である。
それにしてもフランク・キャプラといえば、ヒューマニズムとかハートウォーミングとかで語られがちであるが、本作や-同じくミッシーがヒロインの-『群衆』(41)などを観れば、安直に誤った方向に突き進む民衆への皮肉な眼があるのが分かる。貧しいイタリア系家族に生まれたキャプラは、人間社会の汚さ・愚かしさを見てきたのだろう(※注3)。
一方で、だからこそ、ヒューマニズム全開の作品になると、心震えることもある。「これはありえない」と分かってる人間が、それでも心を込めて作らざるを得ない切実さが、感動を呼ぶのだ。
その代表的な一本には、『我が家の楽園』(38)を挙げておきたい。ここには『失はれた地平線』(37)以上に涙を誘う "理想" の幻がある。
注1:バーバラ・スタンウィックはフランク・キャプラがよく組んだ女優であり、今回(2024年7月13日~8月9日)のシネマヴェーラのキャプラ特集では、"キャプラ女優" としてのスタンウィック、ジーン・アーサーの魅力がたっぷり味わえる。
注2:カリスマ伝道師がコンサートホールのような教会に大会衆を集めてショーアップされた布教活動をするもので、アメリカでの現状についてはこちらの記事に詳しい。【なぜ米国でメガチャーチが増えているのか? 記事と動画で見る「キリスト教保守派のリアル】日経ビジネス/篠原匡 2018.3.23
注3:バーバラ・スタンウィックも非常に貧しい境遇から成り上がった人間であり、こうした面でもキャプラの心に触れるところがあったのかも知れない。
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