書き下ろしです。
さる7月27日の土曜日、池袋の立教大学タッカーホールの公開講演会「映画人との対話 VOL.2 ~映画監督・黒沢清氏を迎えて~」に行ってきた。司会進行は同大学の現代心理学部映像身体学科で教鞭をとる篠崎誠監督。
これが隅々まで映画キッド "しのやん"(SHINOYANG≒SHARING)の黒沢監督への愛と尊敬に満ち満ちた素晴らしいイベントで、ライブという一回性の中で身体いっぱいに映画を詰め込まれたような幸福感に満たされて、会場を後にすることができた。
オープニング、フランスの芸術文化勲章を黒沢監督が受賞したのを称える同国映画人たちのメッセージビデオが次々と流れ、特にレオス・カラックス監督の凝りに凝ったユーモラスでカッコいい "新作" にはニヤニヤさせられた。
本題に入ってからは講演会というより篠崎✕黒沢のトークショー形式。
同大学が黒沢監督の母校で蓮實重彦に映画を学んだ場というところから「大学で映画を教える=学ぶ」が、たっぷりと語られる。
まず黒沢監督の若き日の "蓮實体験"、そして映画美学校で自らが先生として映画をどのように教えたか。特に後者では『ジョーズ』(1975)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)など超有名映画の一場面を使って、映画の嘘と本当(というか、本当にやってしまってることを撮ること)について語って、観客の興味をぐいぐい惹きつけていった。ここで黒沢映画の3作の場面紹介につなげていくのは、しのやんの見事さ。
その後、スクリーンでは滅多に観られぬ短篇作品の上映と、新作(といっても、上映中のフランス映画版『蛇の道』(2024)から、近日公開の『Chime』(24)『Cloud クラウド』(24)と3本もある!)に関するトークに繋げられていくわけだが。
中でも上映作二本-Amazon Primeの『彼を信じていた十三日間』(『モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~』(22)の一話)と『Actually』(22・乃木坂46のMV)-を観ているうちに自分なりに様々な想いが起き、それらによって直後のトークから受ける印象が変化したのが得難い経験だった。
まずは『彼を…』で、オフィス内の人物が椅子に乗ったまま滑車で移動するのに「ああ、これは『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』(1990・テレビ作品)でも観たやつだ」と思い出し。そのまま『Actually』に "入ったら出られない古いスタジオ" が出てきたとき、「ああ、これはあの味噌蔵そのままではないか」と動揺する(と書くと『味噌蔵』未見の方も推測してもらえると思うが、入ったら出られない魔の味噌蔵の話なのである)。
その上で『Actually』の方ではヒロインはあっさり脱出してしまい、建設中のビルを高方へ高方へ、都市の空に向かって開放された場所に登っていくのに、「おおそうだ、黒沢監督は初期は『味噌蔵』のみならず『スウィートホーム』(89)『地獄の警備員』(92)で人物たちを-規模の大小はあれ-密室に閉じ込める作家だったのに、ある時期から簡単に閉じ込めてくれない作家になったのではないか」と、思い至るようになる。
例えば『クリーピー 偽りの隣人』(2016)には脱出しても逃れ得ぬ恐怖があり、『スパイの妻〈劇場版〉』(20)の主人公は箱から出されたときや病棟から外に踏み出したときに地獄に向かい、フランス映画版『蛇の道』で監禁する建物のドアはなぜか不用意に開け放たれてしまう。
ここで『彼を信じていた十三日間』に話を戻そう。これは仕事一筋の中年ヒロインの前にまるで流れ者のような生活感の無い男が現れ、最終的には幽霊だった(と思われる)という話である。とはいえあまりにも普通にそこにいる人間のように思われ、そこがこの作品の "趣向" なわけだが。
トークで篠崎監督に「彼はどこから幽霊になったんですか」と訊かれた黒沢監督は、お話的には分かりやすい転換点を示して「このあたりのつもりです」と解説してくれたが(とはいえ、「強いて言えばこのあたり…」ぐらいのニュアンスかと思ったが)。実は観ていてかなり早い段階から「あれ、こいつ、幽霊?」と思わせられたのであった。
観たひとにしか分からない話で申し訳ないが、ロングショットで電話番号を教えるところで、早々とこの世のものではない印象を受けたし、その後 "転換点" に差しかかる前に男はヒロインの部屋をペンキで塗り替えるのである。となると、どうしても街をペンキで塗り替えてしまったクリント・イーストウッド『荒野のストレンジャー』(1973)の "幽霊らしからぬ幽霊" を思い出してしまうではないか。黄色と赤の違いはあるが。
それはともかく、このような幽霊らしからぬ幽霊を扱うようになったことについて、黒沢監督は、年齢を重ねるにつれ生と死の境目があいまいになってきたという意味の発言をされた。
この感覚は自分も最近、分からんでもないのだが、『Actually』でも感じた密室の無効化と響き合う。とりあえずは "越境" という言葉を使ってしまえばいいのだろうか。いや、そんな言葉を使ってしまえるほど開放的なものではないことは、あの世がこの世を侵食するあの恐ろしい『回路』(2001)を観た時点で分かっていたのではないか。
となると、密室は機能しない方が恐ろしいのである。
今やどこにいても感染の危険にある世界の中で、黒沢清監督の映画はこれからも境目をあいまいにし続け、新しいDOORを開け続けるだろう。どうせ恐ろしく危険であるならば、映画の旅を、冒険をどこまでも見せてもらおうではないか。
そんな思いに胸を熱くしていると、さすがはしのやん、イベントの最後にこれまでの黒沢映画を "風" というテーマでつないだ映像を観せてくれた。
画面に示される風は異なる映画でも音声をダブらせて編集することで、映画から映画へと吹き渡っていくように感じられる。もはやそこに境目はない。そして我々もまた、黒沢的な風に身を晒すばかりなのだ。
ただ単に "黒沢監督への愛情" などという言葉で閉じてしまわない、"同時代に映画を生きること" をまず自身が引き受けた上で、その場にいた全員にも求めるような見事な締めくくりで、感動した。
そして当の黒沢監督といえば、四分の一世紀前の自作を、平気で国境を超えてリメイクしてしまっているのだ。越境という言葉の身軽さは、むしろ監督自身に当てはまるものだろう。
こうなると、『蛇の道』(1998)を世界中でリメイクしてもらいたい気分にもなるってものだ。とりあえずはアメリカでイーストウッド老を主演に迎え、『蛇の道・孫』とか、どうだろうか。ぜひ観たいものである。
Amazon Prime Video で観る