アネット・ウォーレンとハリウッドの影武者歌手たち
書き下ろしです。
シネマヴェーラ渋谷のダグラス・サーク監督特集で観た『誘拐魔』(1947)。
ナイトクラブで歌われる "All For Love" って曲が、主人公のルシル・ボールとジョージ・サンダースの恋の駆け引きを効果的に彩っている(※注1)。
歌手役はエセルレダ・レオポルドってひとで、べっぴんさんではあるのだが本作を含めクレジット無しの役ばかりで、役者として大成したとは言い難い。しかしこのシーンではかなり印象に残り、それは幾分けだるさを含んで漂うような歌声によるところが大きい。
だがそれは、アネット・ウォーレンというひとの吹き替えなのだ。
ちょっと興味を持って調べてみると、アルバム "Annette Warren Sings...There's A Man In My Life! Plus Selected Rarities" を各サブスクで聴くことができる。"All For Love" こそ入ってないが、CD2枚分、2時間半に渡って、映画と同じちょっとスモーキーな色気こぼれる歌を楽しめる。

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Annette Warren Sings… "There's a Man in My Life!" Plus Selected Rarities (Remastered) - Album by Annette Warren - Apple Music
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Annette Warren Sings… "There's a Man in My Life!" Plus Selected Rarities (Remastered) ‑「Album」by Annette Warren | Spotify
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アネットは『誘拐魔』を皮切りに映画の Playback Singer、つまり吹き替え歌手の役割を果たしていくのだが。面白いことに、『腰抜け顔役』(49)『腰抜け千両役者』(50) といった2本のボブ・ホープ映画で、今度はルシル・ボールの歌を吹き替えているのだ。
これらの歌唱シーンは本記事執筆当時 YouTube で観ることができるので、アネットの歌声を覚えてからだと「ああ、確かに!」と思えて、とても面白い(『千両役者』の方はややくだけた感じで歌っているが、それでも声質は同じである)。
『腰抜け顔役』https://www.youtube.com/watch?v=jlCFoU8HOxg
『腰抜け千両役者』https://www.youtube.com/watch?v=1n2mClperz4
その他にアネット・ウォーレンの歌声が楽しめる映画の代表的なものとしては『ショウ・ボート』(51)があり、このミュージカル作品ではエヴァ・ガードナーを吹き替えている。
実は最初はエヴァ自身の歌声で作られたが、試写で不評だったのでアネットが吹き替えたのだ。こうした事情からかサウンドトラック・アルバムはもとのエヴァの歌声のままでリリースされた。
一方、同作のナンバー "Can't Help Lovin' That Man" はアネット自身の重要なレパートリーにもなっている。
いま挙げた例は、役者からすると酷な話であろう。
同じように自らの歌で撮影を進めながらも吹き替えにされた『ウエスト・サイド物語』(61)のナタリー・ウッドは激怒したというし、『マイ・フェア・レディ』(64)のオードリー・ヘプバーンは天を仰いでスタジオを立ち去ってしまったという。
以上の2作で吹き替えたのはアネットではなくマーニ・ニクソン。
歌の実力と影武者になる能力で抜きん出ていたマーニは『王様と私』(56)のデボラ・カーの吹き替えでも有名で、しばしばハリウッドの Playback Singer の代表とされ、ネット上に記事も多い。一例としてニューヨーク・タイムズの記事を挙げておこう。
Marni Nixon - My Fair Lady - Theater - The New York Times
他にもハリウッドの Play Back Singer について調べ始めると、それだけで大事業になってしまうが。女性歌手のみながら、あくまでも自分の関心の中で一端を挙げてみたい。
アネットが同じ仲間としてステージで共演したひとだけでも、インディア・アダムス(『バンド・ワゴン』(53)のシド・チャリシーの吹き替え)、ベティ・ワンド(『恋の手ほどき』(58)のレスリー・キャロン、『ウエスト・サイド物語』のリタ・モレノの吹き替え)、ジョー・アン・グリア(『夜の豹』(57)などのリタ・ヘイワースの吹き替え)がいる。
また、本業の歌手としてもかなり有名だったひととしては、ベニー・グッドマン楽団でヒットを飛ばし、本人名義でもスクリーンで活躍したマーサ・ティルトンを忘れたくない。
このひとの吹き替えで印象深いのは、何と言っても『教授と美女』(41)のミッシーことバーバラ・スタンウィックがジーン・クルーパ楽団と共演した "Drum Boogie"。蓮っ葉な色気のある歌いぶりがミッシーにピッタリだが、もし吹き替えと気づかれても構わない、夢のような名シーンだ。
https://www.youtube.com/watch?v=FUqd6-11lsQ
そろそろアネットに話を戻すそう。
このひとは影武者以外にも、レコーディングやステージを数多くこなし、音楽教師として後輩歌手を育て上げ、変わったところではジャズ・ピアニストである夫のポール・スミスと共にピアノのみのアルバムを出したり、実に多彩な活躍をした。
そしてなんと現在も102歳で健在。YouTube では昨年ステージに上げられて "Can't Help Lovin' That Man" を披露する姿も公開されている。
もちろんお歳なりの歌声ではあるのだが、長い人生、音楽一筋に生きてきて未だに歌える喜びが伝わってきて、感動してしまう。この姿を見たから記事を書いてみようと思った次第だ。
注1:このシーン、二人のスターの芝居をしっかり見せながらも、フロアに面したテーブル席や楽団のいるステージとの高低差を活かしたサークの演出も素晴らしい。