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フレッド・アステアのホップ・ステップ・ジャンプ

Facebook の過去投稿をいくつか組み合わせたものです。

ハリウッドを代表するミュージカル・ダンサー(そして役者なおかつ歌手)として今では伝説的存在のフレッド・アステア。舞台では既に名声を得ていた彼の映画界への進出は、3本の作品でみごとにホップ・ステップ・ジャンプを決めて、トップ・スターの座に躍り出てみせたものだった。

まずは正真正銘の映画デビュー作『ダンシング・レディ』(1933)。

ジョーン・クロフォードの貧しいダンサーがクラーク・ゲーブルの天才演出家のレビューの主役となり、紆余曲折あって舞台は成功、男女としても結ばれる話。
クロフォードは美しいが、この頃から既に顔はコワイ。重要な脇の青年富豪役のフランチョット・トーンは、本作の2年後に彼女と結婚した(※注1)。アステアはドラマの本筋には絡まず、クロフォードの舞台でのダンス・パートナーとして、本人役で登場する。

映画自体は、なかなか面白い。ロバート・Z・レナード監督の演出に才気があって、かっちり組み立てたコンテで切れ味よく見せていく。
稽古場のシーンの踊り子や舞台スタッフたち(※注2)の配し方、表情の捉え方が的確で雰囲気が伝わるし。ピアノの音が離れた部屋で効果的に漏れ聞こえるところも巧い。凝ったカメラアングルを見せるレビュー・シーンばかりでなく、プールのシーンの水中撮影やキューバのクラブのクレーン撮影などに、視覚的演出の冴えも感じられた。

アステアは前述の通りチョイ役だが、クライマックスではダンスをしっかり(歌も少々)見せてくれる。最初の映画からトップハットに燕尾服というのは嬉しい限りだし、身のこなしもほれぼれする。
だが当時、何も知らずに観たら-少なくとも自分は-「ダンスの上手いひと」とは思っても、ものすごい大天才とは気づかなかったんじゃないだろうか。なんせこの映画でのアステアは、自伝(※注3)によれば「ダンスを映画に撮影する方法をまったく知らなかった」ので、「ほとんど言われた通りにやった」のであり、自分で自分の個性の出し方を決めることが出来なかったのだ。くわえて、クロフォードとのコンビネーションもいまひとつに思える(ただし、クロフォード自身はハリウッド新参者のアステアに親切だったようだ)。

次はいよいよジンジャー・ロジャーズとの初コンビ作『空中レヴュー時代』(33)である。

主演はジーン・ネグレスコとドロレス・デル・リオで、アステアは相変わらず脇ではあるが、かなりドラマ上の出番は増えている。親友ネグレスコのプレイボーイぶりに苦言を呈するのが、後に主役として演じる役の真逆で面白い。ドロレスは最近、後年の『逃亡者』(47)『燃える平原児』(60)を観たばかりなので、若き日の大輪の花のような美貌が新鮮だ。
物語はネグレスコの若きバンド・リーダーがリオ・デ・ジャネイロの実業家の娘のドロレスに恋し、やがてドロレスの父のホテルのために世界初の "空中レヴュー" をやってのけて、大成功を収めるというもの。これにドロレスの婚約者との恋の鞘当てがからむ。

ストーリーはよくあるもので、展開もかなりとっちらかった印象だが、これが面白い。ソーントン・フリーランド監督が随所に遊び心を発揮して、最初から最後まで脳天気な調子が一貫した祝宴的映画に仕立てている。
ネグレスコとドロレスが無人島に不時着してからの顛末など、コントみたいな感じだが「これはこれでいいじゃないか」と思えるし。群舞の演出は『ダンシング・レディ』同様、当時最新のバスビー・バークレーに影響を受けたものだが、フリーランドは『フーピー』(30)でバークレーの映画デビューに関わってるだけに、余計にうまく応用している。飛行機を使った "空中レヴュー" という荒唐無稽なアイデア自体、ナンセンスで楽しい(※注4)。

その上で、やはり最大の見せ場はアステア=ロジャーズの踊る「カリオカ」だろう。二人が踊り始めたとたん、「これはとんでもないことがはじまった!」と電撃に打たれたようになる。前作のクロフォードとのダンス・シーンとは比較にならないほど、輝いているのだ。
それはアステア自身がダンス演出に関わったということと、やはりロジャーズとの相性の良さが大きいと思う(※注5)。アステアほど天才的なダンサーではないにせよ、二人で醸す独特の雰囲気は-歌でいえばマーヴィン・ゲイ=タミー・テレルのように-唯一無二で、名コンビとしか言いようがない。これなら当時、何も知らずに観ても、歴史的瞬間を目撃している実感が持てただろう。

『空中レヴュー時代』で大好評だったアステア=ロジャーズのコンビは、以後、主演作を連発することになる。その記念すべき第一作が『コンチネンタル』(34)だ。

ドラマの内容はロジャーズの離婚騒動をめぐるコメディで、アステアが舞台でも演じたミュージカル『陽気な離婚』を映画化したもの。これ以後、アステアが得意とする "遊び人めいてはいるが恋には人迷惑なぐらいに一途" というキャラクターが、映画で確立されたように思える。
先の2本が-ごく些細な例外もあるが-基本的に話の中でも音楽が演じられる設定でミュージカル・ナンバーになるのに対し(※注6)、ここでは歌や踊りが通常の芝居と同等に扱われる。要は皆さんがイメージする "日常生活でいきなり歌い出す" ミュージカル映画で、それだけに多様なシチュエーションでアステアの技芸を楽しむことができる。
中でもコンビのダンス・ナンバーとしても曲単体としても有名な「ナイト・アンド・デイ」は最高で、"恋の口説きと陶酔" というテーマのもとにこの上なく美しい踊りを見せてくれる。

ただしこの映画、今回の3本の中ではドラマ部分はいちばん面白みに欠けるように思える。自動車の追跡を入れたり芸のありそうな脇役のギャグを絡ませたりしてる割には、どこか野暮ったい停滞感がある。これは同じマーク・サンドリッチ監督の(アステア=ロジャーズの最高作との評判もある)『トップ・ハット』(35)でも感じたことだ。
やってることは別に間違ってないので、他愛ないドラマでノセてくれるような監督がいかに凄いかということだ。スタンリー・ドーネンと言わずとも、エルヴィス映画を多く手がけたノーマン・タウログだって偉かったんだな-と、思わせられてしまう。

というわけでひたすらフレッド・アステアを、そしてジンジャー・ロジャーズとの名コンビを楽しむための映画と割り切るのがいい。
アステアは芸も凄いが、人間としてのフォルムに類例がない。常に一筆書きの曲線で描けそうな姿を見せてくれる。その点においては、多少退屈なドラマ・シーンでも、何か不思議な存在としてあり続ける。

本作ではミュージカル・シーンのみ、急にフィーチャーされるベティ・グレイブルも強烈だ。このとき18歳。文字通り輝いていて、いわゆる "ゴールドウィン・ガールズ" の中では頭一つ抜けた感じだが。スターとして花開くにはこの後もう少しかかったようだ。

注1:ふたりの結婚生活は4年弱しか続かなかったが、クロフォードは晩年のトーンを手助けし、死後、遺灰を彼の望み通りにカナダのマステカ湖に撒いた。

注2:クロフォードのオーディション場面の直前あたりで、舞台スタッフの4人組がドツキ漫才風の暴力的コメディ・シーンを見せるが、彼らこそ翌34年から主演作を連発して人気を博す "三ばか大将"(モー・ハワード、カーリー・ハワード、ラリー・ファイン)と、その舞台時代のボスであったテッド・ヒーリーである。

注3:『フレッド・アステア自伝』フレッド・アステア著、篠儀直子訳、青土社

注4:空中レヴューのシーンでは、踊り子たちが胸もあらわなシースルーを着ている。「昔の映画なのに!」と驚く方もいるかも知れないが、アメリカ映画が "ヘイズ・コード" という倫理規定に支配され始めたのは、本作の翌年にあたる1934年からであった。

注5:アステアは、ロジャーズと本作が初対面ではなく、舞台でのミュージカル・ナンバーの相談役になったことがあり、親しい友人であった。

注6:そうした意味で昔のミュージカル映画には-『ダンシング・レディ』もその典型だが-レヴューのバックステージものがやたらと多い。それらで本格的に歌と踊りが繰り広げられるのはクライマックスでレヴューが演じられる部分に過ぎず、今のひとがイメージするミュージカルの感覚とは少し違うような気がする。

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ダンシング・レディ(字幕版)

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空中レヴュー時代(字幕版)

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コンチネンタル(字幕版)