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三宅唱『Playback』(2012)讃

Facebook に 2013/ 6/16 に投稿した記事に手を加えたものです。

第22回プロフェッショナル映画大賞で新人監督賞を受賞した三宅唱の『Playback』だが、これは本当に刺激的な物凄い作品なのだ。
内容は、ひとりの男が友人の結婚式で故郷に戻り、過去を振り返るうちに実際に過去に戻ってしまい、更に現在に戻っても微妙に違うパラレル・ワールドに陥る…というもの……と、いうことで? いいんだろうか?
いまひとつ自信が持てないのは、説明はなく、観客の想像に委ねる部分大だからだ。
もっとも合理的な説明としては、帰省した先で(心臓発作か何かで)男は死に、そこから後は死の瞬間の引き延ばされた幻想と言うこともできそうだが。そんな解釈にも納まらないような自由さを終始感じてしまう。そして同時に、自由さの中で時の感覚が崩壊するようなヤバさ・不安感もある。
これはもちろん、きちんと解釈しうる "説明”を三宅監督ができないからではない。それどころか、新人監督としては恐ろしいぐらいの "巧さ" をも感じてしまう。
ひとりひとりの人物について「ああ、こういう人はいるな/いそうだな」と、肌に迫るような説得力で伝えてくれるし。ひとつひとつのシーンについて、そのときの状況がもたらす空気感のようなものを、的確に表現してみせてくれる。いずれも映画にとって本当に大事なことで、しかも簡単にはできないことだ。
友人の結婚パーティからふらりと抜け出すシーンでも、"彼は抜け出しました”ということを説明するだけよりも、そのときの "ふらり感”とか、抜け出した先の雑木林の奇妙なほどの静けさ、そのときに主人公が感じている漂泊感・開放感のようなものが伝わる方が、映画として "面白い" のだ。
そのとき我々は映画を "体験している" のだが。『Playback』は、この "体験している感じ" がハンパないのだ。
そんなみごとな "伝える力" が溢れている上で、説明しがたい不思議物語を描いているから、ほかの映画ではちょっと得られない、心の冒険をすることができる。それに魅せられ、上映期間中は毎日のように観に来たひともいるそうだ。
もちろん不特定多数の観客に合わせて作られたものではない。「分からない」と言って拒否するひとも当然いるだろうし。神経質なひとにとっては、ある意味ものすごく "怖い" バッドトリップ映画にもなろう。この映画が「合わない」というひとがいても、責められない。
だけどそれぐらい観客を選ぶ映画からは、観客を選ばない映画では絶対に得られない稀な充実感を得られることがある。俺にはあったし、あなたにもあるかも知れない。
あと、この映画は最近では珍しい白黒作品だが、その撮影の見事さは、強調しておきたい。カメラマンの四宮秀俊は、フランクフルトの映画祭でも "Cinematographer Hidetoshi SHINOMIYA" の特集が組まれるほどの注目株。俺も個人的によく知っているにこやかな中にも真面目さを秘めた好漢だ。その四宮の仕事としても、この作品は最上級ではないだろうか。
三宅唱監督とともに、四宮秀俊もここで、大きくステップアップしたと感じている。