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役者がかわいい『恋は光』(2022)

Facebook の 2022/ 8/12 の投稿に手を加えたものです。
公開後、また手を加えました。

褒めるひとが多いので、小林啓一監督作品『恋は光』(22)を観る。
西野七瀬は評判通り素敵だし、他の役者たちも魅力的に撮られてるので、ファンやこういう話が好きな方には、向いてるかも。自分はまあ、ジジイ過ぎるのか照れくさくてついていけないところがありましたが。
それにしても「見えること」が話の鍵で主人公が眼鏡なのに、いまひとつ眼鏡を生かした演出が無いのは、わざとなのか。ならば、意図が分からぬ。「ここぞ」というときにヒロインが主人公のメガネを外してみせる…という感動的なことができなくとも、せめて主人公が自ら外し、またはかける動作でセリフ以上のものを表す瞬間を作るのは、ありきたりなのか。自分が映画に求めるのは、そういうことなんだけど。作業に疲れて、外して眠っているところがあっただけではないかと記憶する。
観ていてどこか映画全体がぎこちない感じもする。切り返しで会話を撮りましょう。ここはちょっと考え込む空気が流れるから横位置にしたり引いたりしましょう…みたいな「手順の見える丁寧さ」にしなやかさがなく、映画の世界を狭くしていないか。いや、本当は割る上でのキッカケが不足気味で割る手付きしか見えないのだから、むしろ「丁寧さ」が足りない-と言えるのかも知れない。
生意気なこと書いてすいません。でも、こうやってノレない理由を書くことは、自分にとって大事なことなんですよ。特にこの映画では、クライマックスで平坦な路上でふたりに並んで立たせて動かず会話させるでしょ。これはよほどカット割が天才的じゃなきゃ、やっちゃいけないことじゃないだろうか。だって数限りない偉大な先人監督たちが野外での会話を盛り上げるのに、手すりとか柱とか階段とか地面の起伏とか大道具的なものを軸に芝居で動かして、その動きを生かすカット割をして盛り上げてみせた過去があるわけじゃないですか。そこにあえて逆らってあのようなシーンにしたのかも知れないけど、うーん、自分には説得力は感じられなかったなあ。
ついでに言えば、その前の美術館で皆に見られてるからといって、路上で続きをやるのもおかしいんじゃないか。屋上とか、誰もいない場所に行くべきでしょう。そういうところ、映画は理屈を通さなきゃダメだと思う。
最初のスローモーションはあまり好きじゃないけど、最後に至って、どっちも三番手ヒロインのカットなのはいいな-と思った。こういう変なこだわりには、映画を感じる。そしてやはり先に書いた通り、役者が魅力的-というか、女も男もみんなかわいいのは、この映画最大の長所。そういう点で観客を惹き付けるのは、平凡な表現だけど、心を込めて撮っているからですよね。だから評判になったのは、分かる。