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オフュルス最後のアメリカ映画『無謀な瞬間』(1949)

Facebook の2022/6/22 の投稿に手を加えたものです。

無謀な瞬間』(49)をDVDで。
マックス・オフュルス監督の最後のアメリカ映画で、ジョーン・ベネットとジェームズ・メイスンという凄い組合せ。プロデュースは当時のベネットの夫ウォルター・ウェンジャーだが、注目は撮影のバーネット・ガフィ。同じ年にレイ『暗黒への転落』ロッセン『オール・ザ・キングスメン』を手掛けてるという充実ぶり(さらに未見だがジョゼフ・H・リュイス『秘密調査員』も)。ここでも見事な白黒のコントラストと監督の期待に応える移動を見せてくれている。
物語はジェーン扮する母親が娘の手による過失致死事件を隠蔽するために行動。だが、ゆすり屋メイスンの登場で歯車が狂い始める…というもの。母ものノワールとでも言うべき一篇だ。
メイスンはベネットの必死さを見ているうちに立場も忘れて同情的になっていくのだが、その展開に説得力を持たすのが役者の力で、ベネットが「(自分が必死なのは)母親だからよ、あなたの母親もきっとそうよ」と言ったときにハッとする-その表情にセリフで表せぬ説得力がある。しかもそこでアップにしたりしない心憎さ。では実際にメイスンの母はどうだったか。これをとって置きのところで、セリフにするんですよ。鳥肌が立つよ。演技とシナリオの相乗効果による感動だ。
オフュルスの演出は、当時のアメリカ映画としては視覚的な冒険がいくぶん過剰でありながら、しっかり物語を綴っていく。その匙加減がたまらない。ベネットの家で一階から二階へとクレーンで動くのは、まずカメラを動かしたいという欲望によるのだが、その流れの中で階段の途中でベネットが娘に死んだ男と待ち合わせしてたことは言うなと釘を刺すカットの凄さには、ため息が出る。「事件」の真犯人が捕まったとメイスンがベネットに告げるところの周囲の他人の多さも面白い。シーンごとに凝らされた趣向が生きていて停滞しないのだ。果てはラスト、ベネットの情念溢れながらも決してうるさくならない素晴らしい芝居で、胸にズンとくる後味を残す。
かなり特異な映画ではあるが、みごとな50年代前後のハリウッドの翳りあるノワールになっている。何度も観て、秘密を探り当てたくなる。