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『アルキメデスの大戦』(2019)

Facebook に 2019/ 8/18 に投稿した記事に手を加えたものです。

山崎貴監督作品『アルキメデスの大戦』。
まず最初に-予告篇でも感じたから観に行ったのだが-菅田将暉が圧倒的に素晴らしいということだけは言っておかなければ。以前から好きな役者だったのだが、ここまでとは。ティム・バートン映画でいいときのジョニー・デップに匹敵し、これだけでお釣りかくる。
優れた役者が非現実的な人物を具現化するのは映画の大きな楽しみであり、菅田が演じるのは数学スーパーマン。クライマックスで彼が見せる算出の魔術は、よく考えなくても嘘っぽいのだが、それを許す映画の世界を受け入れるかが分かれ目となろう。俺は楽しめた。菅田の力量ゆえだ。
だがそんなスーパーぶりもひとりでは成立しない。映画は、彼の周囲で「なんてスーパーな奴だ!」と反応する人物に感情移入して、ノセられるもの。その役割を柄本佑の少尉がうまく演じていて、「反目し合うものが徐々に無二の仲間となる」という映画らしい趣向をも、楽しませてくれる。
主人公に使命を与える舘ひろし山本五十六がまた傑作なのだが、菅田だけではなく柄本とのコンビの父親的人物でもある。この二人を組ませる「食えない人物」ぶりが、後半の「種明かし」に生きる。映画全体が最初と最後で呼応する中、この種明かしが入ることで戦史像が立体化する心憎さ。
他の役者も可憐なヒロインの浜辺美波も含めて概ね全て健闘しているのだが、特に田中泯の「怪物」ぶりは手応え充分。近頃の日本映画では見られなかったものだ。「国家」と一体化したような異常人物で、以前『陸軍中野学校』(1966)の加東大介に関する見事な文章を書いた高橋洋の感想を知りたいところ(※注1)。
ただ疑問点もないわけではなく、先に触れた「嘘っぽさ」を許せないひともいようし、主人公の追い詰められ方も若干むりやり過ぎる感じがしないでもない。最初の方の会議はわざとそうした狙いは分かるにせよ、クライマックスでも会議を置く上では軽すぎないか。
でもそれらは些細なことだ。なぜかというと、演出芸で楽しめるところも充分にあって、日本映画が失いつつあるプロの作品の水準を思い出させてくれるからだ。
特に戦艦長門に入ってからは面白さ充分で、菅田が柄本に目配せを送るところから、巻尺での計測、その様子を奥野瑛太が双眼鏡で見るまで絶好調である。奥野といえば財閥尾崎邸の女中から情報を聞き出すところで、乱暴に腕を二回つかむ。この二回やらせるというのが演出で、昔のベテラン監督は当たり前にできていたのだが、新作で見ると「やってるな」という気持ちになって嬉しいものだ。
シーンごとの場所替えも的確で、大阪に行くのも遠出の実感が出てる。だからこそ、東京に戻る車中の計算シーンが感動的になる。
この監督の映画を観るのは『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)『永遠の0』(13)に次いで三本目で、生意気を申すようだが、初めていいと思ったし、売れっ子になってからも日々勉強してるのを感じた(※注2)。

注1:高橋洋の文章とは『季刊映画王』4号(映画王社 1990年5月18日発行)掲載「陸軍中野学校」。後に「誰がスパイなのか? 『陸軍中野学校』」の題で『映画の魔』(高橋洋青土社)に所収。また本文執筆後の高橋洋の『アルキメデスの大戦』感想はこちらのツイートで知ることができる。

注2:山崎貴監督作品は最近の『ゴーストブック おばけずかん』(2022)も良かった。本ブログでの鑑賞録はこちら。なお未見だが、周囲の映画好きの中には初期の『ジュブナイル』(00)を推すひとも複数いる。

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アルキメデスの大戦