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マイナー枠の力作『新聞記者』(2019)

Facebook の 2020/3/8 の投稿に手を加えたものです。

メジャーが中心の日本アカデミー賞だが、大昔の五社体制も崩れて久しい日本映画界であるからには、毎年の作品賞にはマイナーでも費用対効果で抜群のヒットをした話題作が一本ぐらいは選ばれる。
その意味でいえば、2019年度作品の『新聞記者』の最大のライバルは実は同じマイナー枠のヒット作『愛がなんだ』だったのではないか。作品賞5本の中のマイナー枠が選ばれる際に、この2作のどちらにするかがあったのではないかと思う。

んで、マイナー枠の一本が最優秀に選ばれるのはしばしばあるわけで、今年は他4本で対抗できそうなのは『翔んで埼玉』で、審査員は「お馬鹿映画」と「マイナー枠の社会派」を並べて悩んだことだろう。
実はこれ、どちらが獲ってもそれなりに痛快ではあったのだ。『翔んで埼玉』がもっとよくできた−例えば、現代ドラマ部分がいまひとつ噛み合わないような難点のない−ものであれば、そっちが獲っていた可能性はある。

結局『新聞記者』が受賞したわけだが、この映画にも難点がないわけではない。ここまで成功をおさめたからには、率直に書いてみよう。
これは俺が観た限りでも、2019年の最優秀と言えるようなものではない。よりマイナーな傑作『嵐電』あたりと比べるのは、日本アカデミー賞にそこまでの鋭さは求めないとしても、メジャーの『アルキメデスの大戦』あたりの方がよく出来てはいる。

例えば、この映画は語りが「ダルい」。それも、意図したダルさではなく、あまりいい意味ではない不器用さによるものだと思う。
主人公の先輩官僚が自殺する。その死体安置室で悲痛な顔をする彼のそばで、家族が嘆き悲しんでいる。ここで、事件後の家族との再会は既にある。なのに、次の葬式シーンの受付で、家族が主人公に挨拶する。いやいや、映画の流れ的にはさっき会ったばっかりじゃない。もちろん現実世界では挨拶するだろうけど、描く必要はない。そんな段取りは飛ばして、死体安置室の次は、すぐに葬式会場の表でマスコミに囲まれる家族を目撃するのにつないだ方が、ドラマチックな効果が盛り上がると思うし。その場での−もうひとりの主人公である−新聞記者との出会いへと、一直線につながる。
これだけならまだしも、すぐまた次に主人公が先輩官僚の家で仏壇に手を合わせるシーンがあり、ここでまた未亡人が主人公に感慨深げにお礼(だったっけ)を言う小芝居がある。いやもう、さっき受付で声をかけたんだから、ここは無言でいいんじゃないの。すぐに未亡人が死んだ官僚の鍵を渡すのに持っていこうよ。平板な段取りでやっていると、映画が停滞するよ。
その後、主人公は先輩官僚の部屋で決定的な資料を見つけるわけだが、続いて新聞記者に見せるのが同じ部屋というのも疑問がある。場所替えをした方が語りが弾むのではないか(ここはシナリオでも同じ場所になっていたかは未確認で、ひょっとしたら撮影スケジュール的な制約かもしれない)。

肝心のクライマックスも、若干空回りな印象がある。
主人公が、権力に追い詰められています、俺は破滅しそうですーという顔で、無言で悩み苦しみ始め、彼を心配する新聞記者も同様の芝居をして、スローモーションでシリアスムードを盛り上げるわけだが。
いや、あんた、さっき報道に自分の名前を出していいと言ったときの決死の覚悟はどうしたの。そりゃ現実世界では、そんな覚悟をした人間が「考えてみれば俺はヤバい」と苦悶し始めるかも知れないよ。でも、ドラマの展開としてはハッキリとした−信じた者の裏切りとかでもいい−具体的な引き金が必要じゃないのか。
そりゃ権力は怖いですよ。でもこれでは、告発者の戦いの物語に、権力被害者の悲痛を無理矢理つないだだけに見えてしまわないか。展開を曖昧にしたまま、役者の芝居に任せちゃってる弱さを感じる。

…などと、いろいろ書いたけど、それでもこの映画には力が入っていることは伝わる。役者の芝居をはじめ、真剣に作っていることの緊張感がある。俺としては傑作とはとても言えないが、力作であるとは認めたい。何より、この題材で作り上げ、ヒットさせ、それなりの評価を勝ち得たプロデューサーの仕事ぶりはみごとだ。
今後、ちょっとタブー的というか、権力に忖度しない映画を作ろうという志のあるひとがいたなら、今回の受賞はおおいに励みになっただろう。そんな中で、映画としても目をみはる出来の作品が登場したら、これは素晴らしいことだと思う。だから俺は『新聞記者』はさほど評価しないにせよ、日本アカデミー賞の最優秀作品賞を勝ち得たことは良かったと思うのだ。